【3000文字チャレンジ】 嘘に隠されたるは雅に薫る真の意

【3000文字チャレンジ】 嘘に隠されたるは雅に薫る真の意

3000文字チャレンジ!! お題「嘘」

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4/2に出されました3000文字チャレンジのお題は「嘘」。

お題出題の前日は4/1。そう、エイプリルフール。

もう毎年恒例で、有名企業から個人に至るまで、「ぷぷっ」と笑わせる嘘ネタを出していましたね。

 

個人的にはタカラトミーのトミカのエイプリルフールネタ24連発がお気に入りです。

自身で”お家芸”と豪語する笑える嘘の連発。

今年は50億年前の隕石にトミカが!!から始まる「トミカ50億周年」ネタでした笑

この勢い好きですねー。

さすが子どもに夢を与え続けるおもちゃメーカーです。

 

 

中には新型コロナに罹ったーみたいな嘘を付いてしまって叩かれている有名人もおられたようで・・・。

まぁ、この世界的な混乱を招いているコロナをネタにしちゃ叩かれるのは当たり前ですから、やってしまった方は残念としか言いようがないですね。

 

エイプリルフールネタを見ているだけでも、対多数に向けて「嘘」を付くというのはなかなか難しく、センスや配慮が必要なんだということが分かります。

 

嘘というのは悪い意味で捉えられることが多いですが、中には”嘘も方便”とか、”優しい嘘”とか、嘘を吐くことに対して擁護的な言葉もありますよね。

確かに自分の人生を振り返ってみても、大なり小なり嘘は吐いてきたなぁ、と。

冗談交じりの実にも毒にもならない軽い嘘、例えばちょっと話を盛る的なことであれば誰しもが日常的に吐いているでしょうし、話をおもしろおかしくするには効果的ですね。

 

大人になってからは、嘘のおかげで物事がスムーズに回ることも多々ありましたが、子どもの頃なんかは思慮が浅くて、嘘が嘘を呼び最後は良くない結末になってしまう、なんていうこともあったように思いますね。

嘘を吐いた結果、痛い目を見ることで「嘘を吐くのは悪いことなんだな」と覚えていったような気がします。

基本的には、嘘は吐かずに正直にまっすぐ生きていきたいものですね。

 

 

さてさて、今回はですね、ちょっと雅な古典に登場する「嘘」をご紹介しようと思ってこの記事を書いています。

「嘘」と呼ぶにはいささか迷いがありますが、まぁ広義的には嘘の一種だとも受けとれるような気もしないでもないので(弱気・・・笑)、お許しいただければと。

どうぞ最後までお付き合いいただきたく候。

 

 

源氏物語に関するエッセイなどの著書を多く書かれている歌人・随筆家の尾崎左永子さんという方がおられるんですが、その方の著書である「源氏の薫り」という本の中で、ある印象的なエピソードに出会いました。

「源氏の薫り」という本は、源氏物語の中に出てくる「薫り」にスポットを当てて、源氏物語の世界を更に趣深く知ってみようという随想文です。

源氏物語の中で美しい言葉で描かれる香りの表現を余すことなく掬いあげ、普通に読んでいるだけではさらっと読み飛ばしてしまいそうな「薫り」に関する一文も、よくよく紐解いて読むと紫式部の”狙い”のような物が見えてきますよ、とこの本は教えてくれます。

なぜこのシーンではこの香りが登場したのか?

なぜこの人物は、この香りを差し出したのか?

などなど色んな考察が、和の香りの文化や歴史と共に語られていてとても楽しい本です。

興味がある方はぜひ手に取っていただければと思います。

 

 

源氏物語をお読みになったことがある方はご存知のことかと思いますが、物語の多くのシーンで様々な「薫り」が出てきます。

 

平安時代、貴族たちのくらしの中で使われていた薫香を大別すると以下の3つが挙げられます。

・仏前にくゆらす「名香(みょうごう)」

・衣類に香りをつける「衣香(えこう)」

・室内にくゆらす「空薫物(そらたきもの)」

 

この3つの中でも今回は「空薫物(=薫物)」を中心にご紹介したいと思います。

(本題である「嘘」に繋がるまで少し長くなるかもしれませんが、どうぞお付き合いください。)

ちなみに衣香は現代の匂袋のように常温で使用する物と、空薫物と同様に香炉で炭を熾し灰の上で香を焚き、その薫りを衣服に焚き染めるものがあったようです。

現代においても「薫物」は、茶道の炉の時期に炭のそばに置かれて薫りを立たせる「練(煉)香」として使われています。7mmくらいの黒い丸薬状で販売されていることが多いです。

日本には、唐から来日した帰化僧の鑑真和上がその製法を伝えたとされています。

 

 

平安貴族たちは、常に雅やかさを意識し、洗練された感覚と教養を実にシビアに競い合わせていました。

和歌をはじめとして、その基礎を成す漢文・詩文の知識、琵琶・筝・笛・舞などの芸術的センス、衣服の色の合わせ方や仕立ての濃やかさ、文字を書くだけでもどこの流派の由緒正しき書体か、などなど。

 

そして空間に焚き染めたり、身に纏う「薫物」にもかなりのこだわりを持っていたようです。

それぞれに作り上げた「薫物」を持ち寄って、どちらが良い薫りかを判ずる「薫物合わせ」という遊びも流行りました。

 

「追風」や「追風用意」という言葉がありますが、これは人とすれ違った後に良い香りが漂ってくるように、衣服に薫物の薫りを染み込ませておくことを言います。

電気の灯りが無い時代。

暗闇でそこにいる人の姿が見えず誰か分からずとも、衣服に焚き染めた薫りの違いでそこにいる人物が誰なのかが分かった、ということもあったのでしょう。

はぁ、いと雅なり。

 

 

現代のように科学的に作られた合成香料はなく、全ての薫りが植物性または動物性の天然香原料を用いて作られていました。

沈香・白檀・丁字・薫陸(くんろく)・甘松・麝香(じゃこう)、その他多くの香原料は全て海外からもたらされた貴重なものでした。

それらの香原料を細かい粉末にしてさまざまな調合法を基に合わせ、甘葛や蜜、梅肉などで練り合わせて小指の先ほどの小さな玉に丸めた後、磁器の瓶に入れ密閉して地中に埋め熟成させます。

 

源氏物語の作中では、32帖の「梅枝」で源氏や女御たちが、明石の姫君の裳着に合わせて薫物を作るシーンがとても細かく描かれています。

源氏はその時に「承和の秘方」という承和帝(=仁明天皇)秘伝の調合法で薫物を作ります。

しかも、その調合法は「男子に聞き伝えてはならない」という「承和の御いましめ」があったにも関わらず、源氏はなぜかその調合法を知っていたというのです。

源氏はどこでそれを知り得たのか、想像するのも楽しいものですね。

 

良い薫りを作ることが出来るかどうかは、良い素材をどれだけ持っているかという貴族としての財力もさることながら、非常に教養とセンスが問われることだったと思われます。

そうして丹精を込めて作られた薫物は、香炉を使って煙が出ない程度の熱加減になるように焚き出すと、様々な香原料や蜜が合わさった、趣深く雅やかで、まさに得も言われぬ薫りが漂ってくるのでしょう。

 

さてさて、ここまででだいぶ「薫物」に関して知っていただけたことと思います。

ようやく本題に戻りましょう。

 

ご紹介したいエピソードは源氏物語からではなく、栄花物語という平安時代の歴史物語に出てきます。

栄花物語は、宇多天皇の治世から起筆され堀川朝までの15代、約200年間の時代を描いています。正確な作者は不詳とされていますが、赤染衛門や出羽弁、周防内侍など複数の女性によって書かれたものだそうです。

 

エピソードの主人公となるのは村上帝(=第62代天皇〈在位: 946年- 967年〉)、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させたとも言える天皇です。

ある日、村上帝は和歌を認めた御文を数多くの女御、更衣たちに届けました。

その歌はこのようなものでした。

 

「逢坂も はては往来の 関もゐず 尋ねて訪ひ来 来なば返さじ」

(あふさかも はてはいききの せきもゐず たずねてとひこ きなばかえさじ)

 

この歌を現代語訳すると

「逢坂も最後は関がなくなるように、もはや二人を隔てるものもいません。気兼ねなく訪ねて来なさい。来てくれたらもう帰しませんよ。」

という、何とも色っぽい歌です。

 

この歌を受け取った后妃たちは、それぞれに頭を捻りました。

帝がこんな直接的な愛の歌をお贈りになることはおかしい、と。

 

しかし、中にはこの歌をそのまま正面から捉えて、しっかりと身を飾り立て帝の元へ参上された方もおられたようで、そういった無神経な妃に対しての君寵は少し衰えたそうです。

歌を正面から捉えてしまうと「嘘」になるわけですね。

 

では、この歌の真意は何だったのでしょうか。

 

后妃の一人である広幡御息所源計子は、唯一この歌の真意を理解して、ある物を贈り届けました。

それは少しの「薫物」でした。

 

なぜ?歌のどこに薫物が欲しいなんて書かれていたのでしょうか?

 

もう一度、村上帝が贈った歌を見てみましょう。

 

「逢坂も はては往来の 関もゐず 尋ねて訪ひ来 来なば返さじ」

(あふさかも はてはいききの せきもゐず たずねてとひこ きなばかえさじ)

 

やはり薫物のことなんて、どこにも書かれていません。

広幡御息所はどうやって村上帝の真意を読み解いたのでしょうか。

 

 

この謎を解くには、和歌には「折句」と呼ばれる遊戯的なレトリックがあるということを知っておかねばなりません。

 

学生時代に古典の授業で「かきつばた」という5文字をそれぞれの句の頭に付けた在原業平の有名な歌を習った覚えはないでしょうか?

衣 つつなれにし ましあれば るばるきぬる をしぞ思ふ」

繰り返し着てくたくたになった唐衣の褄(裾)のように、私には馴れ親しんだ妻がいるので、はるばる遠く来てしまった旅を思うことよ、、。

と詠んだ歌ですね。

(この歌の背景は「伊勢物語」九段「東下り」を読むと深く知ることができます。)

これが「折句」というレトリックです。

 

村上帝の贈られた歌もこの「折句」が使われていますが、上の「かきつばた」のように5文字だけではなく、更に高度な「沓冠(くつかむり)」という技法が使われています。

 

これは各句の冠と沓、つまりは上一字と下一字を読んでいくという一種の暗号文となっています。

では、各句の冠と沓を太字にして見ていきましょう。

 

ふさか てはいきき きもゐ ずねてとひ なばかえさ

 

濁点を取って、冠5文字→沓5文字の順番でまとめてみます。

 

あはせたきものすこし」となり、つまりは「合わせ薫物少し」となるわけですね。

何とも雅な暗号文だこと。

 

村上帝は、この暗号を見事読み解いた広幡御息所の才智をたいそう大切なものに思われ、他の后妃よりも寵愛されたそうです。

教養溢れる広幡御息所の贈った薫物は一体どのような香りだったのでしょう。きっと素晴らしく、雅やかな香りだったことでしょう。

 

このエピソードを意地悪な嘘と見るか、雅な遊びと見るかはそれぞれの価値観だと思いますが、こういった際の対応で自身の進退が大きく変わってしまう貴族たちの生活とは、なかなかにスリルに満ちたものだったのかもしれませんね。

 

今回はこのへんで。ではでは。

 

 

やーさん

最後までお読みいただきありがとうございました!

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