【3000文字チャレンジ】道という字の裏側と、ぼくの好きな京都の道
3000文字チャレンジ! お題:「道」
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家を出ればそこには道があります。
コンクリートで舗装されている道。
はたまた、コンクリート舗装がされておらず、草が生えているような土の上でも道は道です。
どこかへ赴こうとすれば、自然と道の上を移動することになります。
地球上の広大な陸地の隅々まで道は伸びて、人類未踏の地でもそこに一人の人間が足を踏み込めば、そこがまた道となります。
いや、人でなくとも、獣が通ればそこは獣道と呼ばれる道になるのでしょう。
どこまでも続く道。
あまりにも身近にありすぎて、「道」そのものに意識を向けたことがこれまでなかったので、では「道」というお題で3000文字も何を書こうかと思い悩みながらも、脳内垂れ流しでお届けしようと思う次第でございます。
さてさて行きつく先はどんな場所になるでしょうか。
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
アントニオ猪木が引退の際に引用したすばらしい詩もこう言ってます。
寄り道、曲がり道満載で、さぁ、一緒に歩いていきましょうか。
どうぞ、最後まで共に歩んでいただきたいと思います。よろしくお願いします。
さてさて、改めて「道」、ですよ。
ぱっと思いつく話といえば、、、。
小学生くらいの頃だったか、漢字の成り立ちっておもしろいなぁと思って色々と調べていたことがありました。
小学生時代は国語が得意科目で、中でも漢字テストはいつも満点を取るくらいに得意でしたし好きでした。
とは言え、小学生レベルなのでそんなに大したことではないんですが、「好きこそものの上手なれ」ですよ。
授業で習う漢字以外にも、小学生向きの漢字関連の本なんかも図書室で読んでた覚えがあります。
その時だったか、または別の機会だったか、もう記憶も定かではないですが、「道」という漢字の成り立ちが書いてある本があって、その内容に衝撃を覚えたんですよね。
今回この記事を書くまで記憶の彼方にありましたが、そんなことを思い出したので、改めて調べてみました。
「道」という漢字の成り立ち。
皆さんは不思議に思ったことはないですか?
「道」という漢字にはなぜ「首」が付くのか。
漢字はご存じの通り、中国で出来た象形文字を主とする文字であり、それぞれの偏や旁(つくり)には意味が込められています。
首にしんにょうで「道」、その謎を紐解くと、怖い漢字の成り立ちが見えてきます。
むかーし、昔、そのまた昔の中国のお話。
広大な中国大陸では、様々な民族が自分の領地を広げるために戦っていました。
戦で攻め落とし、占領した土地には新しい道を作り、更に次の地へと進んでいきます。
その新しい道を作る際に、なんと討ち取った敵国の民の生首を持って練り歩くというなんとも恐ろしい風習があったそうです。
これが、「道」という漢字の由来なんですって!!
怖っ!!
めちゃくちゃ怖いっ!!
何でも、その土地ごとに異なった霊的なものがいて、それらを鎮めるためにはその土地に由来した魂が必要だったとされたのだとか。
それでその土地に暮らしていた民の首を刎ね、手に持って練り歩き、土地の霊を鎮めながら道を開拓していったと。。
生首を持って歩いていく武人の姿・・・想像するとおぞましいですね。。
子どもの頃のぼくは、そんなスプラッターな風景を想像して「うげぇぇ」とショックを覚えたのでした。
しかし、今になってこういったストーリーを読むと、ただただ恐ろしさだけを感じるのではなくて、その裏にある「道」を作るという行為の大変さや、領土を広げていくという開拓精神の逞しさ、目には見えない霊的な何かへの畏怖、なんかも見えてきておもしろいなぁと思うわけです。
調べていくと、この刎ねた首を持って歩き、開拓していったことから「道」という文字が出来たという説は絶対的なものではないようで、他の説を提唱されている方もいるようです。
上記のちょっと恐ろしい呪術的な要素も多分に取り込まれている説を提唱しておられたのが、白川静(1910~2006)という方で、文学博士で立命館大学名誉教授の方だそうです。
白川博士は草創期の漢字の成り立ちに関して、宗教的・呪術的なものが背景にあったと主張したそうですが、実証が難しいこれらの要素をそのまま学説とすることは当時の主流の中国学者からは批判されたともありました。
確かに、紀元前17世紀~11世紀の殷の時代の甲骨文字を見て、果たしてそこまで細かく正確に文字に含まれている意図を読めるのかと疑問には思ってしまいますよね。。
他にも、実は成り立ちが怖い漢字というのがたくさんあるので、こういった話が好きな方は調べてみてください。
「耳」とか「民」とか「眞」とかいろいろ出てきますよ。
おぉぉ、怖。。
漢字の話はこれくらいにして、「道」そのものの話をしましょうか。
改めて考えると、自分たちの周りに何げなくある道も元々は野原であったり、土で覆われていたただの地面であったり、森や山があったところを時間と労力とお金をかけて、安心して通れる道にしてくれた誰かがいたんだなぁと感謝の念が生まれますね。
とか何とか良い人ぶったことも書きながら、まぁ、ガタガタの道なんかを車で通ると、
「何だよ、このガタガタ道!!きれいに舗装しなおせよ!!」
なーんて勝手なことを思ってしまうので、ほんと自分勝手な生き物ですが。。
どんな道にも、そこには作った人やそこを使用している人たちの想いが込められているものなのかもしれません。
ぼくが普段仕事をしている京都の観光地には、「〇〇の道」と呼ばれる道がいくつもあります。
例えば、
春には満開の桜で花筏が出来て、川一面がピンク色に染まる銀閣寺の近くの「哲学の道」。
広い道幅いっぱいに御影石が敷かれた石畳の道である、高台寺の近くの「ねねの道」。
京都府立植物園の近く、賀茂川東側堤防の散歩道「半木(なからぎ)の道」。
平等院と宇治川の間、お店がたくさん立ち並ぶ散策道「あじろぎの道」。
源氏物語ミュージアム内の散策路からはじまり、宇治上神社、宇治神社を経て宇治川へと続く「さわらびの道」。
ほかにも「きぬかけの路」、「維新の道」、「千代の古道」、「せせらぎの道」などなど。
さらっと挙げてみるだけでたくさんありますねぇ。
京都にこんなにも色々な「~~の道」があるって知ってましたか?
桜咲く春、若葉茂る初夏、紅葉鮮やかな秋、白く染まる冬。
どの道も四季それぞれに素晴らしい景色が広がっていますので、京都観光の際にはゆったりと「~~の道」の散策なんかを取り入れてみても良いかもしれませんよ。
まぁ、春の「哲学の道」なんかはあまりにも人が多過ぎることもあるので、個人的にはあまりおすすめはできませんが・・・。
観光地ど真ん中は避けて、京の侘び寂びを感じる静かな道をゆったりまったりと歩くのが個人的には心地よく感じます。
ぼくは仕事柄、京都市内を東西南北広く車で運転するのですが、お気に入りの道が「加茂街道」です。
地図などで見ていただくと分かりやすいのですが、京都市内を南北に流れる鴨川はY字の川です。
西側から流れてくる賀茂川と、東側の高野川が出町柳駅あたりで合流して鴨川となります。
等間隔にカップルが並んで座ってるので有名なのが、この合流したあとの「鴨川」のほとりですね。
ぼくが好きな道である「加茂街道」は鴨川として合流する前の、「賀茂川」の西側、堤防の上を走る道です。
街路樹が道の両側に植えられていて、いわゆる緑のトンネルが長く続く道で、とても気持ちが良いんです。
少し狭い道なので、大型トラックとすれ違う際はちょっと怖いですが。。
ぼくは北から南へ下がってくる道を走るのが好きです。
左手に穏やかに流れる賀茂川を眺めながら、木陰の中を走るんですが、これがもうとても気持ちがいいんですね。
仕事の合間に、走るだけで癒される道です。
加茂街道を北へ行けば京都で最も古い神社である上賀茂神社が、南へ行けば糺の森を有する下鴨神社があります。
二つの加茂社を結ぶ道として、5月の葵祭ではこの道を華やかな平安装束を纏った行列が練り歩きます。
腰輿(およよ)と呼ばれる藤の花と葵の葉で飾られた見事な神輿に乗った斎王代が、この加茂街道をたくさんの人に囲まれてゆっくりと進んでいく姿を一度見たことがありますが、それはそれは優雅で、とても素晴らしい光景でしたよ。
それこそ、平安時代へタイムスリップしたかのような感覚で。
またいつか、初夏の木漏れ日の中、あの優雅な行列を見たいな。
この記事、お読みいただけた方もぜひ京都にお越しの際は、ぼくのおすすめの加茂街道をドライブしてみてください。
癒されますよー。
最後までお付き合い、ありがとうございました。
今回はこのへんで。
ではでは。
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