【3000文字チャレンジ】「私、饂飩じゃないから。」

【3000文字チャレンジ】「私、饂飩じゃないから。」

3000文字チャレンジ! お題「うどん」

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五月の連休も明け、初夏の風が薫る季節。

昨日までは夏日が続いていたというのに、今日はひどく寒い。

午後から降り出した静かな雨が、夜になっても新緑の若葉を濡らし続けていた。

 

俺の名前は岸達男、32歳。

いまだにふらふらと身を固めず、独身貴族を謳歌している。

今夜はやけに自分の中の衝動を抑え込めずに、ネオンの灯る飲み屋街へと出てきた。

一晩だけの都合の良い女はいないものかと、道行く人々に目を向けてみるが、土曜日の雨の夜だ。

多くはすでに雄雌の番いで、あいあい傘の下で仲睦まじくよろしくやっている姿を、公共の場に晒していた。

 

道端での誘いは諦めて、俺は一軒のバーに入ることにした。

幾度か訪れたことのある、こじんまりとした雰囲気の良いオーセンティックなバーだ。

 

「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?カウンターへどうぞ。」

少しグレーの入った髪をオールバックにまとめたマスターが、6人掛けのカウンターの右端へ案内してくれる。

他の5席は埋まっていた。

 

「何になさいますか?」

「ウィスキーを。シングル、ロックで。」

 

俺のオーダーを受け入れ、こくりと頷くマスター。

酒が運ばれてくるまでの間、ポケットから取り出したマールボロに火を付け煙を燻らす。

灰白く染まる景色の向こう側に、良さそうな女性がいないかと店内を見回してみる。

 

静かなジャズが流れる店内。

店内は8割方埋まっていて、雑然とした会話の音が雨音のように耳に入ってくる。

そこに意味のある言葉があるようには思えない。

ただただ雨のように降り、形を成さずに流れ消えていく音だけがその場に溢れていた。

 

タバコの煙を、ため息とともに吐き出す。

その煙の中にはニコチンやタールの他に、微量にでも俺の魂的なものが含まれているのだろうか。

空中に吐き出された煙は、数瞬の内に消えてなくなっていく。

 

カウンターのマスターに目を向けると、丁寧にカットされた美しく丸い氷が入った厚みのあるグラスに、琥珀色の液体をメジャーカップから注いでいるところだった。

細く捻じられたバースプーンでグラスの中をゆるやかに混ぜると、氷の音が心地よく響いた。

 

「ウィスキー、ロックです。」

マスターの低い声が、やわらかく丸い形となって耳に届く。

 

3000ケルビン程の暖かな色をした店内の照明が、グラスの中でプリズムを作り出している。

生成り色の麻で作られたコースターの上に置かれたそれに、手を伸ばし口付けた。

焼けつくようなアルコールは臓腑を熱くさせ、芳醇なモルトと、熟成を感じさせるウッディーな薫りが複雑に口中と鼻孔を刺激する。

脳に心地よい痺れを感じ、昂っていた衝動が少し抑えられていく。

 

カランコロンとグラスの中の氷を遊ばせながら3口目を運ぼうとした頃、カウンターの中央4席の客がほぼ同時に立ち上がった。

札を数枚置いて、扉を開き順番に雨が降る夜の街に消えて行った男女2ペア。

俺はまるでスペードの5。ポーカーのあまり札の気分だ。

 

少し狭苦しいくらいだったカウンター席が伽藍となり、その空白に何の気なしに目をやれば、左端にひとり座っている女と目が合った。

ストライプの入った白シャツワンピース、腕にはセンスの良い革ベルトの小さな時計。

理知的な印象の顔立ちをした、同世代と思しき綺麗な女性だった。

 

目が合った気まずさをおくびにも出さず、お互いにこやかに会釈をする。

まるで、お互いに残り札になっちゃいましたね、と言わんばかりに。

彼女の前には飲み干されるのを待っているかのように、ショートグラスのカクテルがほんの少しだけ残っていた。

 

途中まで吸っていた2本目のタバコを灰皿に押し付ける。

ジジッと音を鳴らし消える火。

代わりに少しだけ心に火を灯してみる。

 

席を立ち、ゆっくりと歩を進める。

こちらを向いた女は顔で「なぁに?」と優しく問いかけてくる。

近くで見ると更にいい女だった。

ハートというよりはダイヤのエースといった雰囲気だった。

あまり札になるには、もったいない。

 

「こんばんは、美しいお嬢さん。良かったら、もう一杯、付き合ってくれませんか?」

「こんばんは、伊達男さん。良いですよ、よろこんでお付き合いしましょう。」

 

ありがとう、といって俺は女の隣の席に座った。

 

お互い空きかけのグラスをカチッと鳴らして乾杯し、簡単な自己紹介を交わした。

彼女の名前はチサトといった。年齢は俺の2つ下の30歳だった。

 

「今日は寒くなったね。」

そんな軽い雑談から入る。

「この季節の寒くなった日は、若葉寒って言うのよ。」

なんていう返事が返ってきた。

 

春の「花冷え」から季節が進むと、「若葉寒」なんていう言葉が充てられるそうだ。

ジャブへの返しとしては、なかなかキレのあるパンチが返ってきた。

が、悪くない。

聡明な女性との会話を楽しむこととしよう。

 

 

最後の一口を共に飲み干し、二人一緒に2杯目をオーダーすることにした。

 

「ギムレットなんてどう?」と俺は提案してみるが、

「うーん・・・モッキンバードなんてどうかしら?」とチサトが言い、

「モッキンバード?」と間抜けに俺が返す。

 

聞きなれないカクテルの名前だ。

 

彼女曰く、

テキーラにミントリキュールとライムジュースを合わせた、爽やかなカクテルらしい。

「じゃあ、俺も同じものを。」とマスターにオーダーした。

 

カクテルが出来るまでの間、俺は色々と質問してみた。

 

このバーには良く来るの?

仕事は何してるの?

趣味とかある?

時計ステキだね。どこのブランド?

 

初対面の俺からの質問に彼女はイヤな素振りも見せず、笑顔で楽しそうに答えてくれた。

会話の中で、二人ともに趣味が読書であるという共通点があった。

彼女は日本の古典文学などを扱う仕事に就いていて、日本の古い言葉や隠語などを調べるのがライフワークにもなっているという。

それで、「若葉寒」なんていう言葉も知っているのかと合点がいった。

 

彼女のときたま見せる、長い髪を耳に掛ける仕草がたまらなくセクシーだった。

耳に品よく添えられた、翡翠色の小さなピアスが小さく揺れていた。

 

10分ほどして、ショートカクテルが2つ置かれた。

新緑の季節にぴったりの、美しく透き通った緑色のモッキンバード。

零れないように乾杯して飲んでみる。

 

口に広がるのはテキーラのあの独特の香りと、ミントとライムの心地良い爽やかさ。

すっきりさっぱりとしたカクテルだった。

 

「うん、おいし。・・・モッキンバード・・・ものまね鳥か・・・。」

と、チサトは少し暗い目を緑色のカクテルに落として独り言ちた。

何か悲しいことがあったんだろうか。

 

どうかしたの?と聞く間も与えず、つとめて明るい調子で

「ねぇ、レイモンド・チャンドラーは読んだことある?」

と聞いてきた。

 

俺は頭の隅の方に、微かに引っ掛かっている記憶を引っ張ってきた。

「フィリップ・マーロウのシリーズ?」

「そうそう。私ね、中でもロング・グッドバイが好きで。」

「ハードボイルド物が好きなんだね。・・・あぁ、だからさっきギムレットはダメだったんだ?」

「あはは、『ギムレットには早すぎる』って?それは出来過ぎた話よ。」

 

そう言って、くすくすと笑うチサトはかわいい。

 

「でね、ロング・グッドバイの中で、マーロウとレノックスがバーで交わす会話があるじゃない?あそこのシーンとセリフが好きなの。」

「何だっけ?開いたばかりの静かなバーで飲む一杯目は最高だぜ、みたいなセリフだったっけ?」

「そう。静かなバーでの最初の静かな一杯―こんなすばらしいものはないっていうセリフ。その後にこう続くの。」

 

彼女はアルコールで薄桃色に染まった頬に、少し潤んだ目を俺から逸らして言葉を続けた。

 

「アルコールは恋に似ている。最初のキスは魔法のようだ。二度目で心を通わせる。そして三度目は決まりごとになる。あとはただ相手の服を脱がせるだけだ。」

 

「『どこがいけない?』」

 

「ふふふ、そう。どこがいけない?ってマーロウは返すの。」

 

いたずらっぽい目つきでチサトがこちらを見てくる。

 

目が合って数瞬、沈黙が流れる。

「・・・ねぇ、あなたは今夜何をしにここへ来たの?」

 

グゥっと心臓が掴まれた、ような気がした。

 

「私もあなたと同じ目的だって言ったら、どう思う?」

そう言って、チサトはカウンターの上に置いた俺の手に、自身の左手の指を這わせる。

 

「・・・どこがいけない?」

チサトの左手を取り、手の甲に軽く口づけをした。

 

彼女の顔は更に上気して赤みを増し、目はトロンとなり艶を帯びていた。

 

「ふふふ。じゃあ、ここを出て私の家へ行きましょ。すぐ近くなの。」

「君の家に・・・?」

 

「土曜の夜は、どこもいっぱいだよ。きっと。」

「あぁ、、、なるほど。」

 

「そんな警戒しなくても大丈夫よ。最近色々あったんだけど、今夜は気分が良いの。特別よ。」

「警戒なんてしてないさ。」

 

「ウソだー。ちょっと疑ってるでしょ?」

「君はキレイでステキな女の子だよ。」

 

「あはは、何その返し。笑っちゃう。あはは。」

 

チサトは大きく笑って、目尻に浮かんだ涙を拭った。

 

そしてこう言った。

「大丈夫よ。私、饂飩じゃないから。」

 

二人は立ち上がり、まだ雨のそぼ降る夜の街へと出て行った。

 

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【饂飩】(うどん)

自宅に連れ込んで稼ぐ淫売婦という意味を持つ隠語である。

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やーさん

最後までお読みいただきありがとうございました!

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