優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の八

優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の八

どうもー!やーさん(@ohokamudumi)です。

現代ではTwitterの140字の中でうまいこと言った人が人気を集めるわけですが、

古来より5・7・5・7・7の31文字で人の想いや儚さ、四季の移ろいなどを見事に表現しているのが和歌です。

数々の歌が千年以上経った現在でも人々の胸を打ち続けている。これってすごいことじゃないですか!?

ということで、最も有名な和歌集である小倉百人一首に収められている歌を改めて鑑賞してみたいと思います。

今回は71-80番!!いってみましょう!

 

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優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!

 

71、夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹く 

ゆふされば かどたのいなば おとづれて あしのまろやに あきかぜぞふく

 

大納言経信

夕方になると、家の門前の田んぼの稲の葉の音を立てて、この蘆葺きの山荘に秋風が吹き渡ってきた。

 

やーさん

経信が源師賢(みなもとのもろかた)という人の山荘に招かれ、そこで行われた歌会にて「田家の秋風」という題で詠んだのがこの歌です。平安時代中期には貴族は郊外に別荘を造り、田園趣味を楽しむようになっていったようです。山里に秋風が吹きわたる、美しい情景をしみじみと詠んだ叙景歌ですね。

 

源経信は民部卿・源道方の6男で正二位大納言にまで昇進したので大納言経信と呼ばれます。

漢詩文や管弦に優れ、朝廷の礼式や作法などの「有職」に関して深い知識を持っていました。

 

 

72、音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ

おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ

 

祐子内親王家紀伊

噂に名高い高師の浜にいたずらに立つ波にはかからないようにしましょう。袖が濡れてしまいますから。

(浮気者と名高いあなたの言葉は心にかけずにおきましょう。後で涙で袖を濡らすことになりますから。)

 

やーさん

この歌は貴族が女房に恋の歌を贈り、女房が返歌をするというしゃれた趣向の歌会「艶書合(けそうぶみあわせ」で詠まれた歌です。29歳の藤原俊忠が70歳の紀伊に「人知れぬ 思いありその 浦風に 波のよるこそ 言はまほしけれ」(人知れずあなたを想っています。荒磯の浦風に波が寄せるように、今夜あなたにお話ししたいのです)という歌への返歌です。

 

祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)は平経方の娘で、兄の重経が紀伊守であったことから紀伊と呼ばれます。

後朱雀天皇の皇女・祐子内親王に仕えました。

 

 

73、高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ 

たかさごの おのへのさくら さきにけり とやまのかすみ たたずもあらなむ

 

権中納言匡房

遠くにある高い山の峰の桜が美しく咲いた。人里近い山の霞よ、どうか立たずにいてほしい。美しい桜が霞んでしまわないように。

 

やーさん

内大臣藤原師通の家で花見の宴が催された際に、遠くの山に咲いた桜を見て詠んだ歌です。春の霞に呼びかけるほんわかとした温かさと、風景の広がりを感じさせるおおらかな歌ですね。

 

権中納言匡房(大江匡房)は59番歌の赤染衛門の曾孫にあたります。

平安時代を代表する学識者で、幼い頃から神童と呼ばれ、菅原道真と比較されました。

 

 

74、憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを

うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを

 

源俊頼朝臣

私に冷たいあの方の心が変わるようにと初瀬の観音様にお祈りしたのに。。初瀬の山おろしの風よ、お前のように「さらに激しく冷たくなれ」とは祈らなかったのに。。

 

 

やーさん

この歌は「祈れども逢わざる恋」という題で詠まれた歌です。初瀬は奈良県桜井市の地名で、初瀬観音(真言宗豊山派総本山 長谷寺)があります。絶望的な恋が良くなるように観音様にお願いしたのに、山おろしのようにさらに激しく冷たくなったと嘆いた歌です。

 

源俊頼朝臣は71番歌の大納言経信の三男です。

雅楽の「ひちりき」を得意とし、堀河天皇の楽人となりました。また白河天皇の命により「金葉集」の撰者となりました。

 

 

75、契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり

ちぎりおきし させもが露を いのちにて あはれことしの あきもいぬめり

 

藤原基俊

約束してくださったお言葉を、ヨモギの葉に浮かんだ恵みの露のようなそのお言葉を命のように頼みにしておりましたのに、、あぁ今年の秋もむなしく過ぎていくようです。

 

やーさん

この歌には次のような背景があります。藤原基俊の息子は興福寺の僧侶 光覚 です。かわいい息子が、毎年秋に行われる維摩講の名誉ある講師になれるよう、基俊は藤原忠経に度々頼んでいました。忠経は清水観音の託宣歌「なほ頼め しめぢが原の さしも草 われ世の中に あらむ限りは」(しめぢが原のヨモギのように思い悩んでいたとしても、一心に私を頼りなさい)を引用して返答しました。しかし、光覚は講師に選ばれず・・・信じていたのに約束を守ってくれなかった忠経に対する恨みが込められた歌ですね。

 

藤原基俊は藤原道長の曾孫にあたります。

74番歌の源俊頼とはライバル関係で、当時の歌壇の重鎮として活躍しました。

 




 

76、わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波

わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ おきつしらなみ

 

法性寺入道前関白太政大臣

大海原に漕ぎ出して見渡してみると、かなたに雲と見間違うばかりに沖の白波が立っていたよ。

 

やーさん

内裏歌合で崇徳天皇の御前で「海上遠望」をお題にして詠んだ歌です。どこまでも広がる青い海と、雲と見間違うような沖の白波というくっきりとした美しいコントラストが描かれた雄大な歌ですね。

 

法性寺入道前関白太政大臣は藤原忠通であり、藤原氏の氏長者として摂政・関白・太政大臣となった人物です。

この歌が詠まれた19年後、歌合の主催者である崇徳天皇(77番歌の作者)とは「保元の乱」において敵対・勝利し、崇徳天皇を讃岐に流しました。

 

 

77、瀬を早み 岩にせかるる 瀧川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ

 

崇徳院

川の瀬の流れが速いために岩にせき止められた急流が、二つに分かれてもまた一つになる。愛しいあの人と今は別れても、いつかはきっと逢おうと思っている。

 

やーさん

どんな障害があっても、いつかは必ず結ばれる。そんな強い意志を詠んだ恋歌です。川の激しい流れを描くことによって、なみなみならぬ情熱と、強い決意を感じさせる歌になっていますね。

 

崇徳院は第75代・崇徳天皇です。

76番歌の説明にもあったように「保元の乱」によって讃岐に流され、その地で崩御されました。

 

 

78、淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守

あはぢしま かよふちどりの なくこえに いくよねざめぬ すまのせきもり

 

源兼昌

淡路島から渡ってくる千鳥の鳴き声に、幾夜目を覚まさせられたことだろうか。須磨の関守は。

 

やーさん

この歌は、冬の夜に寂しげな千鳥の鳴き声に眠りから覚め、自分の孤独を実感したであろう関守の寂寥感を思って詠われた歌です。源氏物語の中で、老いた光源氏が須磨の地で詠んだ「友千鳥 もろ声に鳴く 暁は ひとり寝覚の 床もたのもし」という歌を踏まえています。

 

源兼昌は宇多天皇の子孫にあたります。皇后宮少進まで昇進した後、出家しました。

多くの歌合に出席して、「兼昌入道」などと称しています。

 

 

79、秋風の たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ

あきかぜの たなびくくもの たえまより もれいづるつきの かげのさやけさ

 

左京大夫顕輔

秋風にたなびいている雲の切れ間から、洩れてくる月の光はなんと清らかで澄みきっていて美しいことだろうか。

 

やーさん

秋の夜の風と雲、月の清らかな美しさを詠った非常に格調高い歌です。結句の「さやけさ」は形容詞である「さやけし」を名詞化したもので、澄み渡ってはっきりしているという意味となります。この結句がとても効いた一句となっています。

 

左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)は藤原顕輔です。父は藤原顕季で摂関家並の勢いがあり「六条藤家」として知られています。

崇徳上皇の勅撰集「詞花和歌集」の撰者です。

 

 

80、長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ

ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ

 

待賢門院堀河

(昨夜契りを交わした)あなたは末永く心変わりしないと仰いましたが、それが本心かどうかはかりかねて、黒髪が乱れるように私の心も乱れて、今朝は物思いに沈んでおります。

 

やーさん

初めて愛を交わした男性に対する、女性の切ない思いを詠った歌です。「長からむ心」で「永久に変わらない愛」と訳すことができ、また「長からむ」は黒髪の縁語となります。乱れた黒髪が情事のあとの妖艶な雰囲気を漂わせていますね。

 

待賢門院堀河は源顕仲の娘で、崇徳天皇の母である待賢門院に仕えました。

崇徳天皇が退位させられた際に待賢門院も追放され出家した際、堀河も共に出家しました。

 

 

以上、71番から80番歌までのご紹介でした!

 

今回は崇徳天皇に関係した歌が多く出てきましたね。

百人一首の撰者・藤原定家はどのような想いで、「保元の乱」で敵対関係となった法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)と、崇徳天皇の歌を76番・77番と連番にしたのでしょうね。

そんなことを考えながら歌を鑑賞するのも、百人一首のおもしろいところだと思います。

次回以降もお楽しみに!!

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やーさん

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