優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の二
どうもー!やーさん(@ohokamudumi)です。
現代ではTwitterの140字の中でうまいこと言った人が人気を集めるわけですが、
古来より5・7・5・7・7の31文字で人の想いや儚さ、四季の移ろいなどを見事に表現しているのが和歌です。
数々の歌が千年以上経った現在でも人々の胸を打ち続けている。これってすごいことじゃないですか!?
ということで、最も有名な和歌集である小倉百人一首に収められている歌を改めて鑑賞してみたいと思います。
今回は11ー20番!!いってみましょう!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の一」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の三」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の四」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の五」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の六」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の七」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の八」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の九」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の十」はこちらからどうぞ!
- 1. 優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の二
- 1.1. 11、わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ あまの釣舟
- 1.2. 12、天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
- 1.3. 13、筑波嶺の 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
- 1.4. 14、陸奥の しのぶもぢ摺り たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに
- 1.5. 15、君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ
- 1.6. 16、立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む
- 1.7. 17、ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
- 1.8. 18、住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ
- 1.9. 19、難波潟 短き蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
- 1.10. 20、わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の二
11、わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ あまの釣舟
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね
私が大海原を多くの島々を目指して漕ぎ出したと、都にいる人に告げてくれよ、釣舟の漁師さん。
島巡りしてくるよ!と意気揚々とした歌に見えますが、実は嵯峨天皇の逆鱗に触れ、隠岐に流されることになった参議篁がその船出の際に詠んだ歌です。内面の怒りや悲しみを隠した歌で、その心情や背景を知ると切なく感じる歌ですね。
参議篁=小野篁。篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説が残されています。
遣唐使の副使として出航する際に大使とケンカになり、嵯峨天皇の怒りに触れ2年間の流刑となりました。
12、天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ
空吹く風よ、雲の中の天に通じる道を吹き閉じておくれ。天に帰ってしまう乙女たちの美しい姿を、もうしばらくここに留めておきたいから。
陰暦11月頃に行われる新嘗祭の翌日の豊明節会(とよのあかりのせちえ)という宴の後に、未婚の美しい5人の女性が踊る「五節の舞」を見て詠んだ歌です。舞姫たちの美しさを、天女に例えて詠んだ幻想的な歌ですね。
僧正遍照は桓武天皇の皇孫で、六歌仙の一人です。同じく六歌仙の一人、小野小町との恋愛話が有名です。
洛東花山の元慶寺を創建、座主となり、花山僧正とも呼ばれます。
13、筑波嶺の 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
つくばねの みねよりおつる みなのかわ こひぞつもりて ふちとなりぬる
筑波山の峰から流れ落ちるみなの川が、最初は細々とした流れでも次第に水かさを増して深い淵を作るように、私の恋心も次第につのり、今では淵のように深くなっています。
14、陸奥の しのぶもぢ摺り たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに
みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに
しのぶ草で染めた陸奥の「しのぶもぢ摺り」の摺り衣の模様のように乱れる私の心。一体あなた以外の誰のために乱れているのでしょう。あなたのためですよ。
心に秘めた、叶わぬ恋。「忍ぶ恋」を、「しのぶもぢ摺り」という染色に関連した言葉に掛けて表現した恋歌です。陸奥の信夫で産したしのぶ草を擦り付けて乱れ模様に染めた布は、髪の乱れのように荒々しくもじれた模様(もじ摺り)で、恋に焦がれて激しく乱される心をよく表しています。
河原左大臣は嵯峨天皇の皇子である源融で、紫式部「源氏物語」の光源氏の実在モデルの一人と言われています。
東六条河原院に住まわれたので、河原左大臣と言われています。
15、君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ
きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ
あなたに贈ろうと思い、春の野に出て若菜を摘んでいる私の袖に、雪がしきりに降りかかってきます。
新春に若菜(早春に採れる野草の総称)を食べることで邪気を払い、長寿や健康を祝う習慣があったので、親しい人々の間で和歌を添えて若菜を贈りあったようです。人の思いやり、若菜の緑と雪の白という色彩のコントラストを感じられる美しい歌ですね。
光孝天皇は第58代天皇で仁明天皇の第三皇子です。55歳で即位し在位は3年でした。
この歌の若菜を摘んだ場所は、京都市右京区嵯峨にあった芹川周辺に広がる芹川野だったそうです。
16、立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む
たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ
あなたたちと別れて因幡の国へ行くけれど、行った先の稲葉山に生える松のように、あなたたちが私の帰りを待っていると聞いたなら、すぐにも帰ってきますよ。
「因幡(稲葉)」と「去なば」、「松」と「待つ」を掛詞とした歌です。中納言行平が因幡守に任じられて赴任する際の送別の宴で詠まれた歌です。切なさを感じさせる、旅立ちの際の名句ですね。
中納言行平=在原行平です。平城天皇の皇孫であり、次の17番歌の作者である在原業平の異母兄にあたります。
この歌は、別れた人や動物が帰ってくるようにと願掛けをする際に詠まれる歌としても有名です。
17、ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれなゐに みずくくるとは
様々な不思議なことが起こっていたという神代でさえ、このようなことがあったとは聞いたことがない。竜田川一面に紅葉が浮かび、流れる水を鮮やかな紅の色に染めあげているなんて。
大ヒットマンガ「ちはやふる」でもおなじみの歌ですね。この歌は屏風歌(屏風に描かれた絵に合わせて詠まれる歌)です。脳裏にパッと真紅の情景が広がるような、とても華麗で、また擬人法や見立て、倒置法など様々なテクニックが駆使された素晴らしい歌です。
在原業平朝臣は16番歌の作者の在原行平の異母弟です。平安時代を代表する美男子で伊勢物語の主人公のモデルです。
鶏肉を赤く揚げた竜田揚げはこの歌に由来しています。
18、住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ
すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ
住の江の岸に打ち寄せる波のようにあなたに心を寄せているのに、どうして夜の夢の中でさえ、あなたは人目を気にして私にあってくれないのか。
平安時代、夢は非常に神秘的なものであり、その夢に想い人が現れることで愛の深さを感じていたようです。住の江の岸に寄せる波に自分の恋心を例え、誰の目も気にしなくて良い夢の中にさえ、あなたは出てきてくれないと嘆く恋の歌ですね。
藤原敏行朝臣は「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」という名歌の作者でもあります。
能書家として、空海と並ぶほどに書がうまかったと伝えられています。
19、難波潟 短き蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
なにわがた みじかきあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや
難波潟の入り江に茂っている蘆の、節と節の間のように短い時間でさえ逢えずに、この世を過ごしていけといわれるのですか。
一瞬の間でも逢いたいのに逢ってくれない恋人への恨みを詠った歌です。難波潟の蘆の生えた荒涼とした景色が、孤独な女性の悲しみや不安を表しているように感じます。
伊勢はその類稀なる美貌と才能で、当時の最上位の貴公子たちに愛された女性で、宇多天皇の寵愛を受け、伊勢の御息所と呼ばれていました。
紀貫之と並び称されるほどに歌の才能があった古今集時代を代表する女性歌人です。
20、わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ
あなたに逢うことができず、これほど思い悩んでしまったのだから、今はもう身を捨てたのと同じことだ。難波の海に差してあるみおつくしのように、この身を滅ぼしてでもあなたに逢いたいと思う。
元良親王が、宇多天皇の女御である藤原褒子(ほうし)との熱愛不倫が発覚した後、褒子に送った歌です。もうどうなっても良いからあなたに逢いたい、というとても情熱的なラブレターですね。作中のみおつくしは「澪標(浅瀬に舟が乗り上げないように水脈を示した標識)」と「身を尽くし」の掛詞となっています。
元良親王は陽成天皇の第一皇子で、今昔物語でも好色であると書かれるほど女好きで有名です。
藤原褒子=京極御息所であり、天下に知られる美女で、生涯女性と付き合わなかった90歳の高僧さえ恋狂いにさせたという話も残っています。
以上、11番から20番歌までのご紹介でした!
百人一首は恋の歌が多く、昔の人の恋模様が見られておもしろいですね。
次回以降もお楽しみに!!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の一」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の三」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の四」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の五」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の六」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の七」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の八」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の九」はこちらからどうぞ!
>関連記事 「小倉百人一首を楽しむ!其の十」はこちらからどうぞ!
最後までお読みいただきありがとうございました!
この記事が気に入っていただけましたら下のボタンから共有お願いします!
-
前の記事
優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の一 2018.09.02
-
次の記事
優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の三 2018.09.09
コメントを書く