優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の六

優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の六

どうもー!やーさん(@ohokamudumi)です。

現代ではTwitterの140字の中でうまいこと言った人が人気を集めるわけですが、

古来より5・7・5・7・7の31文字で人の想いや儚さ、四季の移ろいなどを見事に表現しているのが和歌です。

数々の歌が千年以上経った現在でも人々の胸を打ち続けている。これってすごいことじゃないですか!?

ということで、最も有名な和歌集である小倉百人一首に収められている歌を改めて鑑賞してみたいと思います。

今回は51-60番!!いってみましょう!

 

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優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!

 

51、かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを

かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを

 

藤原実方朝臣

言いたくても言えない、あなたへのこの熱い思い。私の恋が伊吹山のさしも草が燃えるように激しく燃えているとは、あなたはご存じではないでしょう。

 

やーさん

詞書に「女にはじめてつかはしける」とあり、意中の女性に贈った情熱的なラブレターですね。

「さしも草」とはよもぎのことです。下の句の「さしも」にかかる序詞です。また「いぶき」は「言う」と「伊吹山」、「燃ゆる思ひ」の「ひ」は「火」との掛詞となっています。

 

藤原実方朝臣は26番歌の貞信公(藤原忠平)の曾孫です。

左近衛中将にまで出世し、宮廷では花形として活躍、清少納言との恋が有名です。

 

 

52、明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな

あけぬれば くるるものとは しりながら なほうらめしき あさぼらけかな

 

藤原道信朝臣

夜が明ければまた日が暮れ夜になる(=あなたと逢える)とは知りながらも、やはり夜明けはうらめしく思います。

 

やーさん

愛しいあなたと過ごす夜が明けてしまう。また夜が来たら逢えるけれど、この夜明けがうらめしいね、と恋人に贈った歌ですね。ずっとあなたといたいという想いが詰まった愛のある歌です。

 

藤原道信朝臣は太政大臣藤原為光の三男で、藤原兼家の養子となり左近衛中将にまで出世しました。

和歌の才能にも溢れていましたが22歳という若さで亡くなってしまいます。

 

 

53、嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る

なげきつつ ひとりねるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる

 

右大将道綱母

嘆きながら、一人で寝る夜が明けるまでの時間がどれほど長く感じられるかあなたはご存じでしょうか?ご存じではないでしょうね。

 

やーさん

作者の日記「蜻蛉日記」にも収められている歌で、夫である藤原兼家がこどもが産まれたばかりなのに他に愛人をつくって、あまり通ってこない不実をなじった歌です。・・・男性諸君、浮気はダメですよ!

 

右大将道綱母は伊勢守・藤原倫寧(ともやす)の娘で、日本の三美人のうちの一人と言われています。

藤原兼家との間に右大将・道綱を産みました。

 

 

54、忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな

わすれじの いくすゑまでは かたければ けふをかぎりの いのちともがな

 

儀同三司母

「いつまでも忘れない」とあなたは言われますが、遠い将来まで変わらないというのは難しいでしょう。なので、その言葉を聞いた今日を限りに私の命が尽きてしまえばいいのに。

 

 

やーさん

夫である中関白(藤原道隆)との新婚ほやほやの時期に詠んだ歌です。幸せの絶頂の中で、将来への不安も込めつつ夫への深い愛情が感じられる歌です。当時の「一夫多妻」や「通い婚」は、女性にとっては不安要素の多い婚姻制度だったことでしょう。

 

儀同三司母(ぎどうさんしのはは)は名を高階貴子(たかしなのきし)と言い、円融天皇の内侍(女官)でしたので高内侍(こうのないし)とも呼ばれました。

藤原道隆とは添い遂げましたが、夫の死後、子の伊周(=儀同三司)が失脚したため晩年は不遇だったそうです。

 

 

55、滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

たきのねは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なほきこえけれ

 

大納言公任

滝の流れる水音が聞こえなくなってからずいぶんと長い年月が過ぎたが、その名声だけは流れ伝わり、今にまで聞こえてくることです。

 

やーさん

造営から200年近く経って訪れた京都嵯峨の大覚寺(=嵯峨天皇の離宮)で、すでに水の枯れた滝の、昔の見事な風景を回顧して詠んだ歌です。この歌が有名になり、枯れた滝は「名古曽(なこそ)の滝」と呼ばれるようになりました。

 

大納言公任は藤原公任で、関白・藤原頼忠の子です。四条大納言とも呼ばれます。

学問に優れ、和歌・漢詩・管絃など博学多才であったそうです。

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56、あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

あらざらむ このよのほかの おもひでに いまひとたびの あふこともがな

 

和泉式部

私はもうそれほど長くは生きていないでしょう。あの世へ持っていく思い出に、今もう一度だけあなたにお逢いしたいです。

 

やーさん

病床に伏して、末期を迎えている女性の激しくも切ない恋慕の情を詠んだ歌です。死期が近づけば極楽往生を願うのが当時の習慣でしたが、恋に生きた和泉式部らしい歌とも言えますね。

 

和泉守・橘道貞の妻となったことから和泉式部と呼ばれるようになりました。60番歌の作者である小式部内侍の母です。

橘道貞との離別後、為尊親王(死別)、敦道親王(死別)、藤原安昌と結ばれ恋多き女性でした。

 

 

57、めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな

めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし よはのつきかな

 

紫式部

めぐり逢って見たのがあなただと分かるかどうかのわずかな間に、あなたはいなくなってしまった。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜中の月のように。

 

やーさん

久しぶりに逢った幼馴染がすぐに帰ってしまった名残惜しさを、雲にすぐ隠れてしまう月になぞらえ詠んだ巧みで優雅な歌ですね。「めぐり」と「月」は関係が深くよく一緒に使われる縁語です。

 

紫式部は越後守・藤原為時の子で一条天皇の中宮彰子の女官でした。夫は藤原宣孝、子は58番歌の作者大弐三位です。

「源氏物語」「紫式部日記」の作者です。

 

 

 

58、有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

ありまやま ゐなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやはする

 

大弐三位

有馬山のふもとにある猪名の笹原に風が吹くと笹の葉がそよそよと音を立てます。そうですよ、どうしてあなたのことを忘れたりするものですか、忘れませんよ

 

やーさん

離れ離れになっていた男が、「心変わりしていないか不安だ」と言ってきたことに対して詠んだ歌です。身勝手な男の言い分に対して、猪名の笹原に風が吹けばそよそよと音を立てるのに引っかけて「そうよ、そうなのよ。男から行動を起こせば女は応えるものなの。忘れているのはあなたのほうじゃなくて?」と優雅さのなかに少し嫌味をいれた歌となっています。

 

大弐三位(だいにのさんみ)は名を藤原賢子(ふじわらのかたこ)と言い、紫式部の娘で、後冷泉天皇の乳母です。

正三位太宰大弐・高階成章の妻となったので、大弐三位と呼ばれています。

 

 

59、やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな

やすらはで ねなましものを さよふけて かたぶくまでの つきをみしかな

 

赤染衛門

(あなたが来ないと知っていたら)さっさと寝てしまっていたものを、(あなたが来ると思っていたので)明け方の西に傾いて沈んでいこうとする月を見てしまいましたよ。

 

やーさん

藤原道隆公が少将だった頃、妹に「今晩逢いにいくから」と言ったのに来なかったので、翌朝その妹に代わって赤染衛門が詠み送った歌です。二人で西に沈む月を見れたらどんなに良かったか、という想いも込められていそうですね。

 

赤染衛門(あかぞめえもん)は紫式部と同じく一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えました。

和泉式部と並ぶ才女で、藤原道長の繁栄を描いた「栄花物語」正編の作者として有力視されています。

 

 

60、大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

おおえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて

 

小式部内侍

(母のいる丹後の国へは)大江山を越えて、生野を通って行く道は遠過ぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありません。そこに住む母からの手紙も見てはいません。

 

やーさん

小式部内侍が都で行われる歌合せに招かれ、そこで藤原定頼が「詠む歌はどうするの?母親(=和泉式部)に使いは出されましたか?使いはまだ戻らないのですか?」とからかった際に即興で詠んだ歌です。丹後の国にいる母に代作などさせていないと、技巧を凝らした華麗な歌を返すことで証明してみせた素晴らしい歌ですね。

 

小式部内侍は橘道貞と和泉式部の娘です。彼女もまた一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えました。

幼少時代から歌がうまく、あまりに上手なので母親が代作しているのでと噂が出るほどだったようです。しかし残念なことに25歳という若さで亡くなります。

 

 

以上、51番から60番歌までのご紹介でした!

今回は女性歌人がたくさん出てきましたね。

当時の婚姻の風習から、待つ身である女性の切なさや健気さを感じる歌が多かったです。

恨み言でさえ優雅な調べに乗せて詠う和歌の世界。おもしろいですね。

次回以降もお楽しみに!!

 

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やーさん

最後までお読みいただきありがとうございました!

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