優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の七
どうもー!やーさん(@ohokamudumi)です。
現代ではTwitterの140字の中でうまいこと言った人が人気を集めるわけですが、
古来より5・7・5・7・7の31文字で人の想いや儚さ、四季の移ろいなどを見事に表現しているのが和歌です。
数々の歌が千年以上経った現在でも人々の胸を打ち続けている。これってすごいことじゃないですか!?
ということで、最も有名な和歌集である小倉百人一首に収められている歌を改めて鑑賞してみたいと思います。
今回は61-70番!!いってみましょう!
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- 1. 優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!
- 1.1. 61、いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
- 1.2. 62、夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
- 1.3. 63、今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
- 1.4. 64、朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木
- 1.5. 65、恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
- 1.6. 66、もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
- 1.7. 67、春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
- 1.8. 68、心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
- 1.9. 69、あらし吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり
- 1.10. 70、さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮
優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!
61、いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
いにしへの ならのみやこの やへざくら けふここのえに にほひぬるかな
いにしえの奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中でいっそう美しく咲き誇っていることです。
奈良の寺院から朝廷に届けられた八重桜を受け取る役に抜擢された伊勢大輔が、藤原道長に即興で歌を詠むよう促され詠んだ歌です。昔の奈良の都の栄華を讃えつつ、今の京の都の栄華は奈良の都以上のものとして讃えた見事な歌ですね。「九重」は昔中国で王宮を九重の門で囲ったことから、宮中を指す言葉として使われます。また八重と対を成す言葉でもあり、「ここの辺」の意味も持ちます。
伊勢大輔(いせのたいふ)は伊勢の祭主・大中臣輔親の娘です。
藤原彰子に仕え、紫式部や和泉式部とも親しい間柄だったようです。
62、夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き声を真似して人をだまそうとしても(函谷関ならともかく)、この逢坂の関は決して許しませんよ。(あなたには逢ってあげません!)
この歌を理解するには、歌が詠まれた背景を知る必要があります。ある夜清少納言のもとへやってきた藤原行成が「宮中に物忌みが・・」と理由をつけてそそくさと帰っていき、翌朝「鶏の声にせかされてしまって・・」などと言い訳の文を送ってきました。そこで清少納言は「函谷関(かんこくかん)の故事のような嘘は通りませんよ」と返しましたが行成は「関は関でも、あなたと逢いたい逢坂の関ですよ」と弁解し、その時に清少納言が詠んだ歌がこの歌です。
函谷関の故事とは、中国の孟嘗君が夜中に部下に鶏の鳴き声の真似をさせて、函谷関の関守を騙し夜が明けたと思わせ門を開けさせたというお話です。清少納言の教養がとても高いことを表している一首ですね。
清少納言は清原元輔(42番歌)の娘、深養父(36番歌)の曾孫です。中宮定子に使えました。
枕草子の作者で、和漢の学に通じた平安時代を代表する女流文学者です。
63、今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな
今はただあなたのことを忘れるほかありません。そのことだけを人づてではなく、あなたに直接伝える方法があればいいのですが。
三条天皇の皇女・当子(とうし)に道雅が忍んで行ったことが露見し、二人の間が遮られた際に詠んだ歌です。当子は伊勢の斎宮から都に戻ったばかりで、神聖な任を終えたばかりの皇女と関係を持ったことに対して天皇が激怒され、別れの言葉さえ許されず厳しい咎めがあったようです。
左京大夫道雅(藤原道雅)は内大臣・藤原伊周の子です。
父の失脚、そして当子との密通による左遷、本人の悪行により生涯不遇であったようです。
64、朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木
あさぼらけ うぢのかはぎり たえだえに あらはれわたる せぜのあじろぎ
明け方、あたりが徐々に明るくなってくる頃、宇治川に立ち込めた川霧が切れ切れに晴れてきて、瀬ごとに立っている網代木が次第に現れてくるなぁ。
季節は冬、宇治川の朝の美しい風景を詠んだ歌です。自然が作り出す幻想的な風景を眺めながら、その風景を見事に歌で表していますね。
権中納言定頼(藤原定頼)は、55番歌の藤原公任の子です。優れた歌人で書や管弦も上手い趣味人でした。
60番歌の小式部内侍の歌の要因となった人物です。
65、恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
うらみわび ほさぬそでだに あるものを こひにくちなむ なこそおしけれ
恨んで恨む気力もなくなり、流す涙で乾く暇もない着物の袖さえ朽ちてしまうのが惜しいのに、この恋のためにつまらない噂がたってしまい、私の名までもが朽ちてしまうのが惜しいのです。
永浄6年の内裏歌合にて詠まれた歌です。失恋の悲しみと共に、そのことによってあらぬ噂が立てられる悔しさを詠った歌ですね。作者の過去の恋愛や結婚にあった苦しみを詠んだのかもしれませんね。
相模は源頼光の娘(または養女)であり、相模守の大江公資の妻となったため相模と呼ばれます。
大江公資とは離婚し、64番歌の藤原定頼や源資道らと恋愛しましたがうまくいかなかったようです。
66、もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし
お互いに愛しいと思っておくれ山桜よ。私にはお前以外に分かってくれる人はいないのだから。
行尊が大峰山にて修験道の厳しい修行に励んでいた際に、ふと見つけた山桜を見て詠んだ歌です。自分以外に誰もいない厳しい環境の山奥で出逢った山桜は、修行中の行尊の孤独を慰めてくれるものだったのでしょう。
前大僧正行尊は鳥羽・崇徳天皇の護持僧(天皇の身体護持の為に祈祷を行う僧)でした。
歴代の天皇の病気を祈祷で治し「験力無双」と誉めそやされています。
67、春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
はるのよの ゆめばかりなる たまくらに かひなくたたむ なこそおしけれ
春の夜のはかない夢のように、ほんの少しあなたの腕枕を借りたために、つまらない浮名が立ったりしたら口惜しいではありませんか。
二条院にて人々が夜通し楽しく語らっていたとき、周防内侍が疲れて身を横たえ「枕がほしい」とつぶやいたら、藤原忠家が「これをどうぞ」と自分の腕を御簾の下から差し入れて、一夜を共にしませんかとからかってきた際に詠んだ贈った歌です。春の夜の夢や手枕といった艶っぽい言葉や、「かひなく」と「腕(かいな)」を掛けたテクニックなどが見事な歌ですね。
周防内侍(すおうのないし)は周防守・平棟仲の娘で、本名は仲子(ちゅうし)です。
後冷泉・後三条・白河・堀河と4代の天皇に約40年に渡り女官として仕えました。
68、心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
こころにも あらでうきよに ながらへば こひしかるべき よはのつきかな
心ならずもこの憂き世を生きながらえたならば、今夜の月はきっと恋しく思い出されるに違いない。
三条天皇が目の病や、藤原道長との確執から退位を決意された時に詠まれた歌です。権力闘争で疲れ果て、また目の病で失明を恐れた三条院の苦しさが感じられます。
三条院は冷泉天皇の第二皇子で第67代の天皇です。病弱であったため在位は6年と短いものでした。
この歌を詠まれた翌年に崩御されています。
69、あらし吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり
あらしふく みむろのやまの もみぢばは たつたのかはの にしきなりけり
山風が吹いている三室の山から龍田川に散った紅葉の葉は、錦のように絢爛たる美しさであるなぁ。
永浄4年、冷泉天皇が開かれた宮中歌合せにおいて詠まれた歌で、華やかなその場にふさわしい豪華絢爛な歌となっています。三室山と竜田川というどちらも歌枕として有名な山と川をどちらも入れて、さらに紅葉を錦と例え、ストレートに美しい情景を詠んだ歌となっています。
能因法師は肥後守橘元(もとやす)の子で、26歳で出家しました。
東北や中国地方、四国などの歌枕を旅した漂白の歌人でもあります。
70、さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮
さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづくもおなじ あきのゆふぐれ
さびしいので家から外に出てあたりを眺めてみたけれど、どこも同じようにさびしい秋の夕暮れが広がっていました。
良暹法師が比叡山を降りて大原に住み始めた時に詠んだ歌です。秋の夕暮れの寂寥感をしみじみと素朴に詠んだ歌ですね。
良暹法師(りょうぜんほうし)は比叡山の僧侶で、晩年は洛北大原の雲林院に隠棲したといわれています。
「秋の夕暮」という結句は、新古今集の時代に流行した結びのことばでした。
以上、61番から70番歌までのご紹介でした!
今回は恋・季節・雑と様々なジャンルの歌がバランス良く出てきました。
百人一首には秋の歌がとても多いですね。季節を詠った歌が全部で32首ありますが、その内半分にあたる16首が秋の歌です。
撰者である藤原定家は情緒溢れる秋の季節に強く魅かれたのかもしれませんね。
次回以降もお楽しみに!!
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