【日記】2019/7/7 今年は晴れた七夕。あなたは何を願いますか?
2019/7/7(日)ですね。
昨夜は、仕事終わりにとても体調が悪くなり体が震えて、悪寒が走り、冷たい汗が流れ・・・何とか家まで帰りつけたものの、夜ご飯も早々に切り上げて、20時には就寝しました。
Twitterのフォロワーさんにもたくさん心配をしていただき、ありがたくも申し訳ない気分でした。
リプいただいた皆さまご心配をお掛けしてすいませんでした。そして、ありがとうございました。
夜中は息苦しく何度か起きたものの、一晩しっかり寝て体調は回復!!
嘔吐も下痢もなかったので、心配した胃腸炎でもなかったのか、、何にせよ大事に至らず良かったです。
さて、本日7/7は七夕ですねー。
病床に臥せていたので、7/6から7/7にかけての夜に牽牛(彦星・わし座のアルタイル)・織女(織姫・こと座のベガ)の二つの星が出逢う「星合の空」を眺めることは叶いませんでしたが、昨日の空模様はどうだったんでしょうかね。
新暦の7/7はいつも梅雨の真っ只中なので、地上からは星たちが見えない年が多いですよね。
けれど、今夜は珍しく晴れています!!月も三日月で、邪魔にならない明るさ!!
今頃、二人はいちゃついていることでしょう笑
本来の七夕とされてるのは旧暦7/7ですね。
さまざまなイベントもその旧暦7/7に合わせて行われることも多いです。
ちなみに今年の旧暦7/7は一月後の8/7です。
そうそう、先日、保育園で息子が七夕のお話を聞いてきて、奥さんにそのお話を伝えたそうです。
奥さん曰く、お話の中で「何か鳥が出てきたけど、鳥なんて出てくるんだっけ?」と。
おぼろげな記憶ながら「そういえばカササギだっけ?何か鳥が出てくるよねー」と返事しましたが、七夕の話ってしっかりとは覚えてないなぁと。。
近年、欧米からハロウィーンや、イースターなど新しいイベントがどんどん日本に入って定着していく中で、日本に昔から伝わる七夕というイベントに関してもう少し詳しく知っておくべきだよなぁとも感じました。
Wikiなどで調べると、日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった「七夕」が奈良時代に伝わり、元からあった日本の「棚機津女(たなばたつめ)の伝説」と合わさって生まれた、とあります。
現在よくお話として紹介される七夕の物語をざっくりとまとめると・・・
昔々、天の川のそばには天の神様が住んでおり、その娘が「織姫」でした。
織姫は機を織って、神様たちの着物を作る仕事をしていました。
天の神様は娘に御婿さんをむかえてやろうと思い、色々探して見つけたのが、天の川の岸で天の牛を飼っている「彦星」という働き者の若者でした。
二人はお互いに惹かれあい結婚して、楽しい生活を送るようになりました。
しかし仲の良い二人は仕事を忘れて、遊んでばかりいるようになったのです。
すると「織姫が機織りをしない!」「彦星が世話をしないので、牛たちが病気になってしまう!」と天の神様のもとにクレームが入るようになりました。
それを聞いた天の神様はすっかり怒ってしまい「織姫と彦星は天の川の、東と西に別れて暮らせ!!」と、言って二人を離れ離れにさせたのです。
けれど天の神様は、織姫があまりにも悲しそうにしているのを見てこう言いました。
「一年に一度、七月七日の夜だけ彦星と会ってもいいぞ。」と。
それから、一年に一度会える日だけを楽しみにして、織姫は毎日一生懸命に機を織り、彦星も天の牛を飼う仕事に精を出しました。
そして、待ちに待った七月七日の夜、どこからともなく天の川に飛んできたカササギが翼を並べて渡した橋を渡って織姫は彦星に会いに行きます。
しかし、雨が降ってしまうと天の川の水かさが増して渡れず、二人は会うことができません。
この日に降る雨は、催涙雨とも呼ばれ、織姫と彦星が流す涙と言われています。
というお話のようですね。
さらにざっくりまとめると・・・
織・彦「新婚生活楽しすぎて、仕事ほっぽり出しちゃうぜー!!うぇーーーい!!」
↓
神「お前ら!!そんなだらけた生活してるなら別居じゃ!!別居っ!!」
↓
織「そんなぁぁぁ・・・。。しょんぼり。。」
↓
神「・・・しゃあないな。毎年7/7だけ逢ってええで。」
↓
織・彦「はい!!私たちしっかり働きます!!」
↓
神「カササギに橋作らせるやで。雨降ったら・・・まぁ諦めてくれ。」
↓
織・彦「・・・・えっ?」
みたいな?
え?そんなお話なの・・・?
ざっくりまとめてしまうとダメなようです。。笑
七夕と言えば、短冊に願い事を書いて笹竹に飾る!っていうのが真っ先に思い浮かびますよね。
七夕自体は日本以外にも中国、台湾、韓国、ベトナムにも見られる節句・節日だそうですが、短冊などを笹に飾る風習は、日本以外では見られないそうです。
短冊を飾る風習は、ぼくも先日参って来ました「夏越の祓」の際に設置される、茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったものだそうです。
子どもの頃は、「~~になりたい!」とか「○○○が欲しい!!」みたいなことを書いて笹にくくり付けていましたよね。
でも、何で願い事を書くんでしょうね。
(新婚生活楽しすぎて仕事ほっぽり出しちゃうような夫婦に願い事をしても、叶えてはもらえないような気が・・・・・おっと、誰か来たようだ。)
調べてみると、もともと7月7日の夜、織女に対して手芸上達を願う祭である乞巧奠(きこうでん、きっこうでん)という儀式があって、中国の唐の時代には盛んに行われたそうです。
日本でも奈良時代以降、主として宮中で年中行事として行われてきたそうで、織姫と彦星が出会えることを願い、また詩歌・裁縫・染織などの技芸上達が願われたのだそう。
「平家物語」では今のように短冊ではなく、梶の葉に願いを書いた、とあるそうです。
こうして見てみると、全体的に織姫重視のイベントなんですねぇ。
まぁ、元が日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれたイベントなのだから仕方ないですよね。
まさか、彦星側に焦点を当てて「牛追いの技術向上を願う!」なんていう、あまりにもニッチなイベントにするわけにもいかないですもんね。。
いや、待てよ…。
「逆玉の輿に乗りたい!!」なんていう願いなら案外・・・笑
さぁ、皆さんは何か七夕に願いを掛けられましたでしょうか。
残念ながらぼくは今年は願い事、何も書いてないんですよね・・・。
まぁ願いなくとも、晴れた今夜は星を見上げて、織姫と彦星の逢瀬をほほえましく見守るのもまた一興ですね。
8/7の旧暦の七夕も晴れることを願って。
その時はちゃんと願い事書いてみようかな。
技芸上達かぁー。何が良いかなぁ。
字も上手くなりたいし、歌もうまくなりたいなぁー。
まだ一月もあるから、願い事もしっかりと練れますね笑
あなたも一緒に七夕の願い事書いてみませんか??
今回はこのへんで。
では、またー。
最後までお読みいただきありがとうございました!
この記事が気に入っていただけましたら下のボタンから共有お願いします!
-
前の記事
【日記】2019/7/5 我、早朝に逍遥す。 2019.07.05
-
次の記事
【日記】2020/1/5 アドラー心理学との出会いと、風邪っぴきの仕事初め。 2020.01.05
コメントを書く