優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!其の九
どうもー!やーさん(@ohokamudumi)です。
現代ではTwitterの140字の中でうまいこと言った人が人気を集めるわけですが、
古来より5・7・5・7・7の31文字で人の想いや儚さ、四季の移ろいなどを見事に表現しているのが和歌です。
数々の歌が千年以上経った現在でも人々の胸を打ち続けている。これってすごいことじゃないですか!?
ということで、最も有名な和歌集である小倉百人一首に収められている歌を改めて鑑賞してみたいと思います。
今回は81-90番!!いってみましょう!
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- 1. 優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!
- 1.1. 81、ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
- 1.2. 82、思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり
- 1.3. 83、世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
- 1.4. 84、ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき
- 1.5. 85、夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり
- 1.6. 86、なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
- 1.7. 87、村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮
- 1.8. 88、難波江の 蘆のかりねの 一夜ゆゑ 身をつくしてや 恋ひわたるべき
- 1.9. 89、玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
- 1.10. 90、見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず
優美な和歌の世界 小倉百人一首を楽しむ!
81、ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる
ほととぎすが鳴いた方を眺めると、すでにほととぎすの姿はなく、ただ有明の月が空に残っているだけでした。
「暁聞郭公(ほととぎすをあかつきにきく)」という題で詠まれた歌です。ほととぎすは夏を告げる鳥として有名で、文学的にも格調高い鳥として扱われます。鳴き声を残して一瞬で飛んで行ってしまうほととぎすと、明け方の空にいまだ残る月を対照的に詠んだ風流な歌ですね。
後徳大寺左大臣(藤原実定)は、右大臣藤原公能の長男で、藤原定家のいとこです。
祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するために後徳大寺左大臣と呼ばれました。
82、思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり
おもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり
つれない人のことを思い悩んで、それでも命は長らえているものの、辛さに堪えられず流れてくるのは涙でした。
道因法師がまだ若い頃の辛い恋に想いを馳せて詠んだ歌でしょうか。つれない女性のことを思い、涙を流すその姿を想像すると「女々しくて女々しくてツライよ~」という歌のフレーズが思い浮かびますね。
道因法師(藤原敦頼)は80歳を過ぎてから出家し、晩年は比叡山に住み、非常に長命でした。
歌好きで、死後「千載集」に多くの歌が掲載されたのを喜び、撰者である藤原俊成の夢に出てきて御礼を言ったという逸話が残っています。
83、世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる
この世には悲しみや辛さから逃れる方法はないものだ。思い詰めて分け入ったこの山奥にさえ、悲しげに鳴く鹿の声が聞こえてくるよ。
出家したところでこの世の辛さ悲しみからは逃れられないと感じ、断念した思いを詠んだ歌です。親しかった西行法師(佐藤義清)の出家に触発されて詠んだとも言われています。
皇太后宮大夫俊成は百人一首の撰者である藤原定家の父です。
86番歌の西行法師と並ぶ平安末期を代表する歌人です。63歳で病気になり出家、釈阿と名乗りました。
84、ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき
ながらへば またこのごろや しのばれむ うしとみしよぞ いまはこいしき
これから先長く生きていれば、辛いと感じている今この時もまた懐かしく思い出されるのではないだろうか。辛く苦しいと感じていた昔のことが、今となっては恋しく思い出されるのだから。
辛く苦しかった日々も時間が経過すれば懐かしく思い出されるもの。ならば今の辛い思いもこの先懐かしく思える日がくるだろう。そんな人間の心理や実感、人生の真理を詠んだ歌ですね。
藤原清輔朝臣は79番歌の藤原顕輔の次男です。父とはずっと不仲で、その父からの横やりで不遇だったとも言われています。
中年になってから評価が高くなり、王朝歌学の大成者と言われるようになりました。
85、夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり
よもすがら ものおもふころは あけやらで ねやのひまさへ つれなかりけり
つれない人を想い夜通し思い悩んでいるこの頃は、なかなか夜が明けず、寝室の隙間さえもつれなく冷たいものに思えます。
「恋の歌とて詠める」と詞書にあります。俊恵法師が女性の立場に立って詠んだ歌です。恋しい男性が訪ねて来ないために眠ることもできず思い悩み嘆いている女性の心境を、朝日が差し込んでこない寝室の隙間さえ自分につれなくしていると表現した巧みな歌ですね。
俊恵法師は奈良の東大寺の僧で、鴨長明の歌の師でもあります。
71番歌の大納言経信の孫、74番歌の源俊頼の子です。三代に渡り百人一首に歌が選ばれています。
86、なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
なげけとて つきやはものを おもはする かこちがほなる わがなみだかな
「嘆け」と言って月は私に物思いをさせるのだろうか?いやそうではない。にもかかわらず、まるで月のせいであるかのように私の涙がこぼれ落ちるのです。
歌の中の「かこち顔なる」の「かこつ(かこつける)」からきた言葉で、「他人(この歌では月)のせいにする」という意味になります。月を眺めていると感傷的になってしまい、別れた恋人のことなどを思い出す、そんな心を詠んだ歌ですね。
西行法師の俗名は佐藤義清(のりきよ)です。鳥羽上皇に北面の武士として仕えました。
23歳の若さで出家し、京都の嵯峨あたりに庵をかまえ西行と号しました。陸奥、中国・四国を旅し、たくさんの歌を残しています。
87、村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮
むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆふぐれ
にわか雨が通り過ぎていった後、まだその露が乾かない槇の葉の茂りから、霧が立ち上っている秋の夕暮である。
秋の夕暮、ただでさえ寂寥感を感じるその時間に、通り雨がもたらした霧が立ち上る幻想的な風景を美しく描いた歌ですね。村雨ということばがとても美しく感じます。
寂蓮法師の俗名は藤原定長で、藤原俊成の弟の息子ですが、俊成の養子となりました。
俊成に実子(成家・定家)が生まれると出家し、全国を渡り歩きました。
88、難波江の 蘆のかりねの 一夜ゆゑ 身をつくしてや 恋ひわたるべき
なにはえの あしのかりねの ひとやゆゑ みをつくしてや こひわたるべき
難波の入り江の蘆を刈った根の一節(ひとよ)ではないですが、たった一夜だけの仮寝のために、澪標(みおつくし)のように、身を尽くして生涯をかけ恋こがれ続けなければいけないのでしょうか。
歌合で「旅宿逢恋」という題で詠まれた歌です。たった一夜旅の宿で契りを結んだ人のことが忘れらないといった遊女の切ない恋心を詠んだ歌です。「刈り根」と「仮寝」、「一節(ひとよ)」と「一夜」、「澪標」と「身を尽くし」を掛詞として使い、非常に技巧を凝らした歌となっています。
皇嘉門院別当は源俊隆の娘で、崇徳院の皇后・皇嘉門院聖子に仕えました。
1181年に出家して尼になったという記録が残っています。
89、玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
たまのをよ たえねばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする
わが命よ、絶えるなら絶えてしまえ。このまま生きながらえていると、恋を他人に知られないように堪え忍ぶ心が弱ってしまうから。
「忍恋」を題に詠まれました。「この恋を他人に知られるくらいなら、命よ絶えてしまえ」と、抑えた恋の激情を感じさせますね。女性歌人の恋愛歌として屈指の名歌とされる歌です。
式子内親王は後白川天皇の第三皇女です。1159年から1169年まで賀茂斎院を務めました。
藤原俊成に歌を学び、新古今集時代の代表的な女流歌人です。
90、見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず
みせばやな をじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかはらず
あなたに見せたいものです。。雄島の漁師の袖でさえ海水に濡れに濡れても色は変わらないというのに。(私の袖は血の涙で濡れて、色が変わってしまいましたよ)
源重之が詠んだ「松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくはぬれしか」(松島の雄島の磯で漁をしていた漁師の袖が、私の袖が涙で濡れているのと同じようにひどく濡れていた)という歌の本歌取りです。辛い恋に、激しい怒りや悲しみを抱えた女性の激情を詠んだ歌ですね。
殷富門院大輔(いんぶもんいんのたいふ)は藤原信成の娘で、亮子内親王(後の殷富門院)に仕えました。
非常に多くの歌を残しており「千首大輔」と呼ばれています。
以上、81番から90番歌までのご紹介でした!
今回は辛い恋を詠んだ歌が多く出てきましたね。
数えてみると、10首中6首が恋に涙している歌です。
昔も今も悲恋は人の心を打つということでしょうか。
次回で百人一首まとめもついに最終回です!!お楽しみに!!
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