狛犬ならぬ狛猪!?京都の護王神社に行ってきた!
どうも、やーさん(@ohokamudumi)です。
平成30年も残すところあとわずかですね。
そろそろ年賀状の準備をしようかなという方も多いのではないでしょうか。
年賀状と言えば、干支をモチーフにデザインすることが多いかと思います。
平成最後の年である来年の干支は亥(いのしし)ですね。
今年の年賀状どうしようかなぁと調べている中で、
全国的にも珍しい「いのしし」にちなんだ神社が京都にあるということを知り行ってきました!
今回はその「いのしし神社」とも呼ばれる護王神社(ごおうじんじゃ)をご紹介したいと思います!
天気にも恵まれ、朝一で人も少なくて気持ちよく参拝できました!写真もたくさん撮ってきたので、ぜひご覧ください!
狛猪(こまいのしし)がお出迎え!?護王神社に行ってきました!
まずは下の画像をご覧ください。
京都御所の蛤御門の向かいに位置する護王神社です。
普通、神社の鳥居の前に対になってまつられているのって、ちょっとこわい顔をした狛犬ですよね。
しかし、この護王神社にまつられているのは狛猪(こまいのしし)なんです。
この神社のシンボルとも言える、全国的にも珍しいものです。
近くに寄って見てみると、後ろ足の筋肉の表現など、とても力強さを感じる造形となっていますね!
かっこいい!!
鳥居をくぐって中に入ってみると立派な拝殿があり、その脇にもまた狛猪がまつられています。
そして目をひくのが、拝殿に設置された大きく「開運」と書かれた特大の絵馬!!
疾走するいのししの絵は目が凛々しく描かれ、目標に向かって猛進できる年になるようにとの願いが込められているように感じます。
京都新聞の記事に以下のように掲載されていました。
拝殿正面に掲げられた絵馬は縦2・7メートル、横4・2メートル。原画は京都市在住の日本画家曲子明良(まげしあきら)さんが手がけた。(中略)文室隆紀(ぶんやたかとし)宮司(78)は「リアルで勢いのある絵だ。いよいよ亥年が近づいてきたと実感する」と話した。絵馬は来年1月末まで拝殿に掲示される予定。
出典:京都新聞(2018年11月12日)「亥年に猛進…イノシシ巨大絵馬お目見え 京都・護王神社」より
境内に手水舎は2つあり、どちらもいのししが口から水を出しています。
下の画像のいのししなんかは、ちょんと立ってて、何ともかわいらしいフォルムをしていますね。
また全国各地からイノシシに関連した作品が奉納されていて、コレクションとして展示されています。
中でも異彩を放ち、圧倒的な迫力を持っていたのが上のチェーンソーアート!!
和歌山県龍神村在住の チェーンソー彫刻家 城所ケイジさんの手によるものです。
真ん中の「飛翔親子猪」という作品は、桂の古木の根株を彫刻したもので、「生命(いのち)のよみがえり」をテーマにしているとのことです。
写真ではなかなか伝わりづらいですが、生で見るとすごい迫力ですよ!!ぜひ見てほしい!!
護王神社へのアクセスと参拝時間
護王神社へのアクセスを紹介します。
住所:〒602-8011
京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385(京都御所蛤御門前)
最寄り駅 : 地下鉄烏丸線 丸太町駅
最寄りバス停 : 市バス烏丸下長者町
京都駅からは地下鉄烏丸線に乗って丸太町駅下車、2番出口を出て北へ徒歩7分ほどです。
市バスの場合は51系統に乗って烏丸下長者町停下車すぐです。
車の場合は、烏丸丸太町交差点より北へ3つ目の信号手前左側となります。
15台分の駐車場があります。
参拝時間と拝観料は以下の通りです。
参拝時間 : 午前6時〜午後9時
ご祈祷・授与所受付時間 : 午前9時〜午後5時
拝観料 : 無料
御由緒 和気清麻呂公といのしし
さて、この護王神社、いのししがたくさんいるのは分かりましたが、なぜいのししをまつっているのか気になりますよね。
その理由は、護王神社の祭神である和気清麻呂公といのししとの関係にあるそうです。
和気清麻呂公(わけのきよまろこう)ってどんな人?
護王神社の主祭神は
和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)とその姉君である和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)の二柱となっています。
和気清麻呂公は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族の方です。
天平5年(733)、現在の岡山県和気町に生まれ、奈良の都へ上り朝廷に仕えられました。
日本後記には「高直な人柄で、一身の利益を顧みずに忠節を尽くした」とあります。
明治23年(1890年)から昭和21年(1946年)までに発行された10円紙幣(改造・甲・乙・丙・い・ろ号券の6種類)に和気清麻呂公の肖像画が描かれています。
お札に描かれるほど有名で立派な方だったんですね!!
上の画像は明治32年に発行された甲10円券です。
左側に護王神社拝殿、右側に和気清麻呂公の肖像が描かれています。
裏面にはいのししが描かれていて、そのデザインから「裏猪10円」とも呼ばれていたそうです。
道鏡事件といのししの伝説
奈良時代末の神護景雲3年(769)に道鏡事件が起こります。
当時法王となり権勢をふるっていた僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が、
「自分を皇位につかせたなら天下は太平になる」と九州・宇佐八幡のご神託があったとして天皇になろうとたくらみます。
清麻呂公は称徳天皇に命じられて、そのご神託の真偽を確かめるため宇佐八幡へ赴きました。
御神前で「真意を真意を示したまえ」と叫ぶと、宇佐の大神が現れ
「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てなさい。無道の者は早く追放してしまいなさい」
と御神託を下されました。
御神託が偽物であったことを天皇に報告した清麻呂公は道鏡の野望をくじき、世の中の平安のために活躍されました。
しかし、道鏡の怒りを買った清麻呂公は、姉である広虫姫とともに大隅国(鹿児島県)への流罪にされてしまいます。
しかもその旅の途中に道鏡の放った刺客に襲われ、足の腱を切られてしまいました。
足の腱を切られ、立つことすらできなくなった清麻呂公ですが、輿(こし=乗り物)に乗って旅を続けます。
そして、皇室を守った宇佐の大神に感謝するため、宇佐八幡へ立ち寄ることにしました。
一行が豊前国(福岡県東部)に差し掛かった時、どこからともなく三百頭ものいのししが現れました。
いのししたちは清麻呂公の輿(こし=乗り物)の周りを囲み、道鏡の刺客たちから守りながら、十里(約40km)の道のりを案内してくれたのです。
清麻呂公が宇佐八幡での参拝を終えると、いのししたちはどこかへ去っていきました。
不思議なことに、清麻呂公の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていました。
それから一年が経ち、朝廷では称徳天皇の崩御により道鏡は失脚し、光仁天皇によって清麻呂公と広虫姫は都へ呼び戻されました。
その後、清麻呂公は豊前守、摂津大夫を歴任するなどめざましい活躍をされ、晩年まで世の為、人の為に尽くされました。
そんな彼の立派な人柄とともに、彼を護ったいのししのお話は後世まで語り継がれることとなり、清麻呂公を祭神としてまつっている護王神社には狛犬の代わりに狛いのししが建てられ、今も清麻呂公を護り続けています。
参照:護王神社HP(http://www.gooujinja.or.jp/)及び、護王神社参拝記念スタンプ台紙「いのしし神社のおはなし」より
足腰守りの御利益
和気清麻呂公の足を癒やしたいのししの故事により、護王神社は足腰の守護神として広く崇敬されています。
本殿に向かって右側の招魂樹(おがたまのき)のそばには「足萎難儀回復の碑」があります。
足腰の病気やけがの回復を願ってご祈願に来られる方も多く、参拝者は足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願されます。
また毎月21日の午後3時からは「足腰祭」がとり行われます。
参列自由となっていて、参列者は本殿での祈願祭の後、表門前の御千度車を回し、足腰の大御守の下をくぐって足腰の健康安全を祈願するそうです。
足腰のお守りも多種多様に揃えられていますので、足腰の健康を祈願されたい方はぜひ護王神社へ参詣してみられてはいかがでしょうか。
まとめ
来年の干支であるいのししにちなんだ京都の「護王神社」のご紹介でした!
清麻呂公が赴いた、大分県にある宇佐神宮の末社である「護皇神社」にも清麻呂公が祭祀されているそうです。
300頭のいのししに護られて十里(約40km)もの道のりを旅する、そんな光景を想像するのもおもしろいですね。ぼくの脳裏に浮かんだイメージは「もののけ姫」でいのししが大群で迫ってくるシーンでした笑
いのししに護られたとても珍しい神社。
興味がある方は、京都に旅行される際にぜひ参詣してみてくださいね。
神様好きな方はこちらの記事もあわせてどうぞ!!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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