【日記】2021/6/26 ありがとうと、さよならと。
本日6/26(土)。
今日から七十二侯は夏至の次侯である「菖蒲華(あやめはなさく)」。
菖蒲と書いてアヤメと呼ぶし、実際に咲いている花を見てもそれがショウブなのかアヤメなのか、はたまたカキツバタなのか、ぱっと見は見分けがつきにくい花ですよね。
「いずれ菖蒲か杜若」なんて言葉もありますし。
そんな似た花でもよく観察して、特徴を覚えれば見分けがついてくるんですけどね。
しかし、何の花かも名前も知らず、視界の端で見るわけでもなく見ていた花に関してはどう朽ちようと心を動かされることはないのですが。
愛着を持って見始めた花の、枯れゆく様を見るは何とも切ないものであったりします。
おやおや、やーさんどうしたの?
ちょっとおセンチ入ってんじゃない。
そうなんですよ。
ちょっと切ない別れがありまして・・・。
別れの舞台はTwitter。
SNSってリアルな人のつながりよりも、ある種密接なつながりが生まれたりしますよね。
毎朝起きたらあいさつしあったり、何か嬉しいことがあれば報告して共感してもらったり、更に喜びを増幅するようなありがたい言葉を貰ったり。
時には仕事の愚痴だとか、ツライ胸の内を聞いてもらったり、励ましてもらったり。
リアルな友人関係ではないからこそ、オープンにできることってありますし。
で、Twitterって何だか学校のクラスみたいな雰囲気があって、その中で気が合う子たちがワイワイガヤガヤとおしゃべりしたり遊んだりしているようにぼくは感じています。
そう。
ぼくにとってTwitterは、有益情報を集める場所だったり役立つ情報を発信する場所っていうよりは、大人たちが良い意味でふざけあう場所としてとても楽しい空間になっています。
Twitterは膨大な数の人達が色んな発信をしている場所。
ただ眺めているだけだと、意味を成さない文字の羅列や画像といった情報が、時間の経過とともに流れていく場所です。
「いずれ菖蒲か杜若」ではないですけども、興味を持たなければその情報の発信者がどんな人かなんて気にもならず、咲こうが朽ちようが自分の関心事にはならないですね。
けれど何か琴線に触れるような出会いがあって、そこで交流が始まると、140字の情報の向こう側に「その人自身」を見ようとしますよね。
そんな風にして出会って、仲良くなって、2年以上もの月日、毎日のように楽しくやり取りをしていた方がぼくにもいまして、まるでTwitter上での相方みたいな感じでした。
まるで、あうんの呼吸で楽しいやり取りができる、聡明で優しくてほんとに素敵な人でした。
そんな相方が先日Twitterを辞めました。
突然いなくなるような形ではなくて、自身のブログになぜ辞めるのかもちゃんと書いてくれたし、直接連絡もくれました。
SNSなんて、いつでも簡単な操作一つでパッと辞められますし、辞めたい時に辞められるのが正常な精神だとは思います。
けどねー、やっぱりいつもそこにいてくれる存在がいなくなるのってツライですね。
そんなに仲良かったらLINEでも何でも連絡とれば良いのに、って思われるかもしれませんが、それは何か違うんですよねー。
教室で今日も机をくっ付けて楽しくおしゃべりする感覚っていうのかな?
何かそんな楽しさがありましたし、ぼくはそれを望んでしまうんです。
まるでクラスの大親友が転校で遠くの街に引っ越してしまったかのような喪失感・・・。
それは思った以上に心にぽっかりと穴をあけてくれています。
この歳になって、まさかこんな感情を味わうことになるとは。
あの人がこの記事を読んでくれているかどうかは分からないけれど。
この気持ちをちゃんと残しておこうと思います。
ねこさん、これまでたくさん楽しい時間をくれて、ありがとう。
ほな、またね。
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