【日記】2020/10/3 「慣れ」とは想像力の欠如でもある。
あらあらまぁまぁ。
朝一で飛び込んで来たニュース。
米国大統領トランプ氏、コロナ感染で入院ですって。
今は軽度の症状ですが、74歳と高齢で肥満気味なので重症化リスクが高いのではないか、なんてニュースもちらほら。
とうとう世界のTOPまでも罹患しちゃいましたね。
重症化とはならず、早く快復されることをお祈りいたします。
春先から感染拡大の波が襲ってきた「新型コロナウィルス」。
当初は情報が少なく、嘘か真かも分からないような情報が飛び交い、ただただ恐れることしか出来なかったこのウィルスに対しても、いつからか「慣れ」のような感覚が出来上がってしまいましたねー。
何となく「そんなに怖がる必要なくない?」みたいな感覚が徐々に広がってきて、ぼく自身を含め、近しい周りの人たちもそんな風になってきているように感じます。
みんな引きこもってしまって、経済を回す消費活動が減退しまうと病気でやられる前に経済的な原因で命を落としてしまう人がたくさん出てしまうから、感染者数は当初より多いけど、これくらいなら大目に見て経済を回すことを優先しよう!
「そうだ、GoToしよう!!」
みたいなノリでちょっとずつ遠出の遊行にも繰り出している様子。
そのことに対して責める気持ちは一切なく、何なら自分も遊びに行きたいなぁと思っている方なんですけどね。
人間の心理的に、いつまでも怯えて窮屈な心持ちで生活するのはとんでもないストレスがかかって常にピリピリしてしまうし、何なら心の影響で体調まで崩してしまうことは往々にしてあるわけで、そういった心の負担を軽減するためにも「慣れ」というものがあるんですよね。
常にマスクをしていることにも慣れた。
ことあるごとに手洗いうがいをすることにも慣れた。
スーパーやコンビニで間隔を空けてレジに並ぶのにも慣れた。
毎日報道される「今日の東京都の新規感染者は〇〇〇人でした」にも慣れた。
満員電車に乗るだけで生きた心地がしなかった春先のあの朝の恐怖心。
社内においてもどうやって感染を予防したら良いのか分からず募ってばかりだった焦燥感。
感染拡大が始まった頃に感じた上のような感覚は、今はもうないと言っても良いくらいに薄れてしまいました。
けど、改めて考えてみるとこういった「慣れ」や「恐怖心の薄れ」なんていうのは、近しい人にコロナ感染者がいないことが一つの要因になっているんですよね。
もし家族や会社の同僚がコロナに感染して苦しんでいたり、最悪命を落とすようなことになっていたら、きっととてつもない恐怖に苛まれて、日常生活どころではなかったように思います。
あの志村けんさんや岡江久美子さんの突然の訃報が入った日のことを思い出すと、心の奥底で眠っていた新型コロナウィルスへの恐怖心がムクっと起き上がってくるように感じます。
無駄に怯えることは愚かなことではありますが、正しく恐れを抱いて、改めて感染予防に取り組んでいく姿勢というのは必要なことであると思います。
「慣れ」とは「想像力の欠如」でもある。
今一度、「慣れ」を振り払って、しっかりと想像力を働かせ、真摯に新しい生活様式に向き合うことが必要だなぁーなんて思った朝でした。
あれー、終始まじめな日記で終わっちゃった。。
まぁ、いっか。
ほな、またね。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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