【感想】「とはずがたり」を読んで、文化や歴史に思いを馳せたら深い充足感に包まれた。
自分の人生についての「物語」を残す人ってどれくらいいるんでしょうね?
偉人や有名人になればその功績が伝記なんかで遺されるけれど、一般人が物語を遺すってのはなかなか無いことですよね。
しかもその物語が、色んな方の目に触れて「自分が生きてきた証」みたいなのが後世にも語り継がれていくなんてことは更に可能性として低いことでしょ?
とは言え、今は色んな情報発信ツールがあるので、昔に比べたら遺しやすい環境ではありますし、SNSなんかでバズれば一気に数万人の目に触れることにもなるんですもんねー。
いやはやスゴイ時代になったもんだ。
さて、何でこんな話から入ったかと言うと、先日ある方の半生を描いた自叙伝を読んだからなのです。
今回はその本をご紹介!!
「とはずがたり」(後深草院二条 作/佐々木和歌子 訳)
後深草院二条が書いた「とはずがたり」ってどんな本?
「とはずがたり」は鎌倉時代に書かれた、ある女性の自叙伝です。
作者は後深草院二条というお方。「二条」と呼ばれます。
もちろん本名ではなく、後深草院という元天皇の元に女房として仕えていた女性で、父は村上源氏の一族である久我雅忠、母は藤原氏四条家である大納言典侍と、由緒正しき高貴な身分のお姫様で、和歌や絵の教養に溢れ、その上容姿にも優れた宮廷のアイドル的な存在だった方です。
彼女が50歳くらいの頃に執筆されたようで、1313年頃までには成立したのではないかと言われています。今から700年以上も前ですね。
全5巻に渡って彼女の半生が描かれるのですが、話の展開としては大きく前半と後半とに分けられます。
前半の1~3巻では、14歳で後深草院の御所に出仕してからの、二条と様々な男性との愛の遍歴が赤裸々に語られ、現代の倫理観ではなかなか受け入れがたいようなスキャンダラスでセンセーショナルな内容が綴られています。
後半の4~5巻では御所を放逐され出家して尼となった二条が、東国・西国と様々なところへ修行の旅に出た記録が描かれます。
この「とはずがたり」は様々な方の手によって訳されたり、その話をモチーフに小説が書かれたりマンガになったりもしています。
ぼくはまだ未読ですが、瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美)さんが「中世炎上」というタイトルで小説化された作品も有名だそうで。
今回、ぼくが読んだ本は光文社発行の古典新訳文庫から2019年10月に刊行されたもので、佐々木和歌子さんによる現代語訳がされたものでした。
佐々木さんの現代語訳がとても秀逸で、カタカナ語(例えば”アクセサリー”や”アンニュイ”みたいな言葉)も多用されていて、よくある古典文学の言葉遣いの難しさに読みにくさを感じるといったことが全く無くサクサクと読めて内容にしっかりと集中できましたよ。
古典が苦手!という方でも、かなり読みやすい文章になっていると思います。
作中に和歌もたくさん出てきますが、分かりやすい現代語訳や注釈もついているので安心です。
「とはずがたり」を読んだ感想
少しだけ内容に触れながら、この本の感想を述べたいと思います。
(注意!!ネタバレ含みます!!)
この物語の主人公である作者の二条さん、才色兼備で家柄も申し分ない、いわゆるやんごとなき身分のお姫様ですが、まぁ色々と身の上に大変なことが降りかかってきます。
二条の性格は、気位が高く、自身の家柄に誇りを持っていますが、父親に一番愛され甘やかされて育ったということもあってか、わがままで奔放なところも見て取れます。
その性格も相まってか、彼女の人生は数奇な運命に翻弄されていくことになるんですね。
数奇な運命と言っても、その多くが男女の交わりにおける出来事なんですが。
後深草院の元に女房として仕えている身なので、他の男と関係を持つなんてことは許されないわけですよ。
けど、少し気難しくても芯があって教養があって、その上美しく、奔放な性格な女性ってステキですもんねー。そりゃ、そんな女性がいれば、男共も黙ってられないってもんですよ。
自分の地位や権力を行使し、時には一晩中甘い愛の言葉をささやき、時には呪いの手紙を用意してまでも彼女を我が物にしたい!と色んな男たちが寄ってきます。
秘密の恋人であり頼れる男!!「雪の曙」こと西園寺実兼。
二条に惚れ過ぎて勝手に来世まで誓った破戒僧!!「有明の月」こと性助法親王。
後深草院が隣に居るってのに、強引に契りを交わしてきたエロジジイ!!近衛の大殿。
後深草院の因縁の弟!!亀山院。
どの人物もトップクラスの権力者。
二条と契りを結ぶシチュエーションが様々で、そこも読んでておもしろいなぁと感じる点ですね。
「有明の月」と初めて契るシーンなんかはかなり罰当たりでびっくりしましたよ。
「こいつ!!阿闍梨のくせにー!!」って心の中で叫びましたもんね。南無南無。
まぁ、しかし色んな男が出てきますが、何と言ってもやっぱり後深草院様が最強ですねぇ。
後深草院は4歳で89代目天皇となりましたが17歳の時に、父である御嵯峨院が権力を振るって寵愛する弟の亀山天皇を治天の君としたことに不満を抱き、この出来事は後深草系の持明院統と亀山系の大覚寺統との対立が生じる端緒となりました。
弟に天皇の座を奪われ、慕う父は弟ばかりを可愛がる。
こうした境遇が後深草院にどれほどの影をもたらしたかは気になるところです。
二条は2歳で母と死に別れることになりますが、その母は後深草院の乳母であった人で、後深草院からしたら性の手ほどきを受けた「初めての人」でもあり、彼は彼女に対して恋愛・性愛的な感情を強く抱いていて「本人がダメならその娘こそ我が物にしたい!」的な気持ちもあって二条を自分の元へ迎えるわけです。
何だかもうこの時点で色々とお察しですよねー。
二条は4歳で始めて御所に出仕し14歳で女房として後宮生活に入り、後深草院の寵愛を受けることとなりますが、その後すぐに父を亡くし後ろ盾がなくなってしまいます。
この父が亡くなる際のシーンも非常に印象的で、強く記憶に残りましたね。
誰よりも手塩にかけて育てた娘を置いて死に行く父の最期に遺した言葉と、二条の後悔。
とてもドラマチックに描かれていて、読む人の心をグッと掴むような筆致でした。
後深草院は愛情深い人ではありましたが、酒も女も大好きで、他の女性との橋渡しの役を二条に言いつけたり、他の男に二条を貸し出すようなことをしたり、そのくせ嫉妬してみせて二条を困惑させるといったところがありました。
作中で後深草院は色んな女性と結ばれますが、簡単になびく女性は好きではなく、イヤイヤと言いながらも徐々に心と体を開いていく女が好きなようです。そしてその癖にぴったりとハマったのが二条だったようにも思えます。
ここだけ切り取ると、後深草院はドSで少し困った性癖を持っている人物としての印象が強いですが、二条と有明の月との間に悪い噂が立った際の火消しの手際の良さなどを思うと、濃やかな心配りや根回しも出来る人でしょうし、また夢で二条が妊娠したことを知るなど超人的な勘の良さも併せ持った人物としても描かれます。
二条が生涯をかけて一番愛したのは後深草院だったのだろうなぁと思わせるシーンは至る箇所で描かれますが、特にラスト、亡くなって葬送される後深草院を二条が裸足で追うシーンはとても胸に来るものがあります。
活字を読んでいるのですが、脳裏にありありと映画のワンシーンのような感動的な映像が流れてくるかの如く、素晴らしい描写とストーリー展開がなされています。
これが700年以上もの前に、一人の女性の日記文学として残されたのかと思うと驚きを隠せません。
あと、おもしろいなぁと感じたことは、後半の出家してからの修行の旅に出てからの紀行文です。
平安時代に記された文学、源氏物語や伊勢物語などで出てくる様々な土地の描写や、はたまた和歌に詠まれたその地の風景などに照らし合わせて、「昔の人はこの場所に立って、こう感じていたんだなぁ。」的な感想を二条は述べます。
この、昔の人(二条)が更に昔の人を想うという部分が、何だかとてもおもしろく感じたのと同時に、こういった古典文学に触れられたことにとても充実感が得られたんですよね。
うーん、この充実感をうまく説明できないのがもどかしいですが。
現代を生きるぼくたちからすると、鎌倉時代の二条も平安時代の紫式部も同じくらい昔の人に感じますが、二人の間には300年以上もの隔たりが確かにあるんですよね。
自身の身に置き換えてみるならば、2020年から300年遡って・・・1720年ですか。
江戸時代、8代将軍吉宗の時代!!享保の改革!!百姓一揆!!
そりゃあ、随分と昔のことですなぁー、、、今の生活や文化と全く異なる時代!!って感じですよね。
こうして改めて連綿と続いてきた日本の歴史を顧みると、その時代時代に一生懸命生きている人がちゃんといて、命を繋ぎ、文字を残して文化を繋ぎ、それらが確実に今の世に繋がってるんだなぁなんて、そんなことを思ったんですよ。
で、そうして残されてきた文化や歴史に、自ら手を伸ばせばアクセスできるということに、まずは幸せを感じます。
そして「とはずがたり」という作品に触れ、こうして拙いながらも発信が出来るということは、自分もこれから先の未来に、歴史や文化を繋げるための一翼の羽の毛先くらいは担えるのではないかと。そこに充実感を見出したのだと思います。
・・・何か語ってしまったら、長くなってきちゃった・・・。
「とはずがたり」の裏話
さて、この「とはずがたり」ですが、本の内容もさることながら、この書物が広く人に知られるようになるまでの経緯というのが、とてもおもしろいなと感じたので紹介したいと思います。
「とはずがたり」は、現在では桂宮本と呼ばれる江戸時代前期の写本5冊のみしか現存していないところから”天下の孤本”とも呼ばれています。
700年以上前の鎌倉時代に書かれましたが、多くの人がこの書物を知ることになったのはそこまで昔のことではなく、なんと昭和に入ってからだったそうで、その存在は宮内庁の書陵部で偶然発見されました。
当初この作品は「地理」の分類で書籍目録に分類されていたそうで、そのタイトルを不思議に思った国文学者の山岸徳平という方が探し出して内容を確認すると、平安時代に藤原道綱母が残した「蜻蛉日記」にも対等する素晴らしい女流日記であると直感したそうです。
それが昭和13年(1938年)のことで、その2年後の昭和15年(1940年)に山岸徳平により「とはずがたり覚書」というもので紹介がされましたが、それはかなり限定的なものであったようで(時代的に日中戦争下にあり、現天皇に連なる宮中でのスキャンダラスな内容を含んだ書物は敬遠された背景があったとか)、一般への公開は更に10年後の昭和25年(1950年)になってからだったそうです。
また、「とはずがたり」とは「誰から問われたわけでもないけれど、自分の身の上話を語ろう」といった意味合いの言葉ですが、このタイトルは作者自身が付けたものではなく、執筆されてから300年以上もの後に複数人の手によって書写された写本に対して霊元院(1654年~ 1732年)が付けたものだそうです。
少なくとも霊元院の時代までは書写され読まれていたものが、ある時を境に人目に付きにくいところに留め置かれるようになり、昭和の時代まで人の目にさらされることなく秘されていた(と言っては語弊があるかもしれませんが・・・)と思うと何だかとてもおもしろく感じますよね。
しかも、写本になる時点で、本文のいくつかの箇所が物理的に斬り取られてしまっているという点も見逃せませんね。
そこには何が書いてあったのか・・・。
二条の目から見た世界を、赤裸々に描いた独白文である「とはずがたり」。
真実・虚構織り交ぜて、自分と関係を持った個人を巻き込んだスキャンダルな内容を掲載しているわけですよ。
週間文春も真っ青になるほどの「独白!!スクープ記事!!」のオンパレード。
勝手に書かれた方の関係者からしたら、
「いや、聞いてないよ!!その時の君の心情なんか問うてないし!!何を他人との関係を赤裸々に語ってるの!?」
ってなっちゃうことだってありえますよね。
そうなってくると、いきなり話が途切れている個所なんかは、読まれると都合が悪い人が斬り取ってしまったんじゃあ・・・と考えてしまうのは無理のないことですよね。
「え・・?待って、、あの人って実は二条が産んだ子じゃないの・・・?」みたいな、皇族の血筋にまで関連しちゃうようなスキャンダルもあったりなかったり・・・?
そんな推測をしながら読むのも、また一興ではないでしょうか。
おわりに
その時代の、「女房」という役割を担いながらさまざまな男の腕に抱かれる二条の半生を綴ったこの物語は、きらびやかで華やかな貴族のお姫様の「めっちゃHAPPY!!イエーーイ!!」みたいなノリでは全くなく、全体的に暗くてジメッとした湿度を孕んだまるで今にも降り出しそうな曇り空のような雰囲気で、二条は何だかずっと涙で袖を濡らしている印象があります。
思うようにいかない人生。
どうしたって愛別離苦からは逃れられない人生。
何で私はこんなに家柄も良いのに、こんなに才能も美も備えているのに、幸せになれないの?
そんな二条の苦悩がビシバシと伝わってくる物語でもありました。
こんな書き方をするとツラいばかりに感じてしまいますが、貴族の華やかな衣装や設え、催し事の描写なんかは驚くほど詳細に語られていて、読むと美しい景色が頭の中に広がりますし、「粥杖事件」なんていうおもしろいエピソードもありますよ!
和歌もたくさん出てきて、和歌好きにとっては楽しいです。
そして、なんと言ってもスキャンダラスな男女関係が胸を熱くします。
・・・いや、まぁ、それでまた二条は袖を濡らすんですけどね・・・。
王朝文化全盛期の平安時代から時は経ち、貴族たちの生活はいまだ華やかなれどどこか全体的に影が差しているかのような印象を受ける鎌倉時代の京の都。
そこで繰り広げられる男女の性の交わりを赤裸々に描き出し、常に袖を涙で濡らす女の生き様がリアルに語られ、そして出家してからのさまざまな場所での人や景色との出会いが趣深く描き出される「とはずがたり」。
気になった方は、一度手に取ってご覧になられてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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